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畠山重忠の編集履歴

2022-03-19 04:09:14 バージョン

畠山重忠

はたけやましげただ

平安時代末期~鎌倉時代初期の武士

概要

1164年生~1205年没


桓武平氏良文流の流れを汲む武蔵国の秩父氏の出身で父は畠山重能。生母は正室であった三浦義明の娘とも側室であった江戸重継の娘とも言われる。


平治の乱で清和源氏が一時没落した後は一族と共に平家に属しており、治承・寿永の乱においては当初は平家方に属して源頼朝に味方した三浦一族を攻撃し外祖父にあたる三浦義明を討った。

その後、頼朝に降伏して平家追討に従事し宇治川の戦いや一ノ谷の戦いに参加している。


鎌倉幕府成立後は有力御家人の一人に数えられたが、実子の重保と北条時政の娘婿である平賀朝雅の対立が一因で時政により謀反人と疑われ、幕府の追討軍と戦った末に自害した。


重忠の死後、足利義純(足利氏2代当主・足利義兼の庶長子)が婿入りし、桓武平氏の流れをくむ平姓畠山氏は清和源氏の流れをくむ源姓畠山氏へと組み替えられた。


エピソード

  • 勇猛かつ謹厳実直で後世にて鎌倉武士の理想と謳われた。
  • 一ノ谷の戦いでの有名な鵯越の逆落としでは馬を抱えて逆落としに参加したと言われる。

関連作品

蒼き狼シリーズ

  • Ⅳでは頼朝配下の人材として登場。戦闘能力に秀でるがその他の能力も低くはないので使い勝手は中々良い。

関連タグ

鎌倉時代 武士

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