ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(ロシア・ソビエトれんぽうしゃかいしゅぎきょうわこく、ロシア語:Российская Советская Федеративная Социалистическая Республика、英語:Russian Soviet Federal Socialist Republic)は、1917年11月から1991年12月までロシア連邦に存在したソビエト連邦の社会主義共和国。ロシア・ソビエト社会主義共和国とも言われる。
概要
1917年11月に臨時政府が崩壊した事で世界初の社会主義共和国として成立した。1922年12月にソビエト連邦が成立すると、同国の構成共和国となる。一方で最大の国土を有し、現在のロシア連邦と同じ領土である。党が直接統治した国であり、議会は一院制のロシア・ソビエト連邦共和国最高議会、ロシア最高会議の元首はソ連の最高会議議長(ソ連の国家元首に相当する。)が兼任かわざと空席にしており、この職は党第一書記(党書記長)が独占していた。ただしロシアの最高会議とソ連の最高会議は異なる。
ソ連末期のロシア共和国
末期には党に対するクーデター・内乱に紛れ、モスクワのボリス・エリツィン市第一書記がロシア最高評議会議長に勝手に就任した。これはソ連の最高議会とロシアの最高議会の力関係が逆転していた為に発生した事である。当時のミハイル・ゴルバチョフ党書記長がこれに対処する為に大統領となり、大統領令を発令してエリツィンとロシアの進出を止めようとした。
大統領令を発令されたエリツィンが抵抗するには独立しかなかったのである。エリツィンと最高評議会(ロシア政府)はますますソ連への離反を進め、かつてのロシア帝国時代の国旗の採用・ロシア共和国大統領の創設を実行し、ソ連のロシア国民はこれを支持した。ソ連は軍を派遣させて大統領の一派を鎮圧しようとしたが、軍は動かなかった。
もはやロシア国内でのソ連の権威は地に落ち、行政権・統治権・軍事権を完全に失った。ゴルバチョフ大統領と党に食い止める手立ては無く、ゴルバチョフは党書記長と大統領を辞任し、クレムリンから追い出された。
エリツィンのクレムリン入城
1991年12月にゴルバチョフが追い出されると、エリツィンはクレムリンに入城した。その後ロシア共和国はロシア連邦として正式に独立してクレムリンは大統領府となり、同国の首都はモスクワと再設定された。