デーモン・コア
でーもんこあ
デーモン・コアってな〜に?
大まかに説明すれば、核分裂性物質の臨界に関する研究における実験のために造られたプルトニウムの塊の通称である。
形は球形、全体の重量は6.2㎏で、元は『ルーファス』と名付けられていた。
実は…
このデーモン・コア、実はファットマンに次ぐ原爆として日本に投下される予定があったものを、日本の降伏で実験用に転用したもの。爆縮タイプになる予定だったらしく、投下されていれば三度地上に地獄を生んでいた(実際、終戦前日に模擬爆弾のパンプキンが愛知県に投下されており、準備は進められていた。攻撃目標は明らかになっていないが、パンプキンを投下したB-29はその直前に京都上空を飛んでおり、そのことから京都が攻撃目標のひとつだったといわれている)。
日本の降伏でその必要がなくなり、地上にこの世の地獄を生み出すことはなくなった…が、その代わりに実験用に転用されたあとで関係者に牙をむいて地獄を味わわせることになった…というのは皮肉としか言えない。
なぜデーモン・コアなの?
『デーモン・コア』と呼ばれるようになったのは、実験の過程において臨界事故を2度引き起こし、関係者に死者を出したためである。
いずれも安全性を無視したような設備を使用した実験で発生した。
最初の臨界事故
1945年8月21日に発生した。
台座に固定したデーモン・コアの周囲に炭化タングステンのブロックを積み重ねていき、中性子反射体(核分裂反応を促進させる物質)について調べる実験を行っていたところ、ブロックを落としてデーモン・コアに接触させ、臨界状態にしてしまった。
2度目の臨界事故
1946年5月21日に発生した。
デーモン・コア絡みの臨界事故で有名なのは、こちらであると思われる。
画像を検索すると、二つの半球状の物質の間にマイナスドライバーを引っ掛けている画像が出てくるが、これはこの臨界事故に至った実験を再現したもので、球体のベリリウムを二分割して中をデーモン・コアの形に合うようにくり抜き、片方を台座に固定して中にデーモン・コアを入れ、もう片方のベリリウムの塊をその上に乗せる際、マイナスドライバーを挟み込んで臨界に至らないようにしているのである。
そして、マイナスドライバーを動かして上の半球とデーモン・コアの距離を調整し、どれだけの距離で臨界状態に達するかを調べるのである。
この実験の最中、手を滑らせてマイナスドライバーが外れてしまい、ベリリウムの半球同士が完全に密着、中のデーモン・コアの全体に中性子反射体が触れる形となって臨界状態になってしまった。
この事故で、最も近くにいてマイナスドライバーを操作していた科学者のルイス・スローティンが事故から9日後に放射線障害で亡くなった。
ちなみに、この事故ではデーモン・コアの全周に核分裂反応を促進させる中性子反射体があったせいか、『半球同士が完全に密着=臨海状態になる』に至った時、「チェレンコフ放射光」と呼ばれる大量の中性子が含まれた熱波を伴う青い光が放たれた。
亡くなったスローティンはデーモン・コアから上半分のベリリウムの半球をはねのけるまでの僅か1秒という短い時間で死に至る量の中性子を全身で浴びた他、スローティンのすぐ後ろにいてスローティンの体が楯となって助かった科学者も後遺症によって一生苦しんだ。被ばくした彼がどういう体になったかは自己責任で検索してほしい。
つまり至近距離で青い光を見たらどうあがいても絶望なのである。
そのあとどうなったの?
デーモン・コアはその後、ビキニ環礁での核実験であるクロスロード作戦で使われる3発目の核爆弾になる予定だった。ところが、2度目の核実験で目標とした艦艇が想定外の深刻な放射能汚染に見舞われていることが判明。艦艇を移動できなくなり、デーモン・コアを使うはずの実験は中止になってしまった。
その後、デーモン・コアは溶かされて、他のコアを作るのに再利用されたという。
関連タグ
デーモンコアくん - こんな危険な代物をベースにとある一人の天才ユーザーによって生み出されたキャラクター。「2つの半球を組み合わせた体」、「口にくわえたマイナスドライバー」、「半球を組み合わせた体の上下が密着すると死に至る青い光を発する」などというキャラクターの特徴から、2回目の臨界事故に至った実験をモチーフにしていると考えられる。
そもそもこのデーモン・コアをNHKの教育番組に出て来そうなキャラクターにするという彼の発想には脱帽である。