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トウケイニセイの編集履歴

2022-10-11 20:12:46 バージョン

トウケイニセイ

とうけいにせい

日本の元競走馬。地方競馬の岩手競馬で活躍した。

プロフィール

名前トウケイニセイ
欧字表記Tokei Nisei
品種サラブレッド
性別
毛色鹿毛
誕生日1987年5月21日
死没日2012年3月6日(享年25)
トウケイホープ
エースツバキ
母父リフォーム
5代内のインブリードなし
産地北海道浦河町
管理調教師小西重征(盛岡)
生産者田中堅一
馬主小野寺喜久男

生涯

父・トウケイホープは南関東と岩手で通算53戦22勝したが、成績が地方のみであったことや主流ではない血統だったため種牡馬となった後も繫殖牝馬がなかなか集まらず、オーナーが生産牧場を走り回って交配相手を探し、ようやく見つけた交配相手の1頭であるエースツバキから生まれたのがトウケイニセイである。



デビュー戦で勝利を収めるものの、屈腱炎を発症して1年半休養。復帰後は騙し騙しレースに出走させる状態が続いたが、それでも勝利し続けなんと18連勝。


1993年、トウケイニセイは生涯初の重賞競走であるみちのく大賞典へ出走。このレースでトウケイニセイはレコード勝ちを収めた。

その後も脚の状態を見ながらレースに出走し、1995年のマイルチャンピオンシップ南部杯で初めて中央所属の馬(ライブリマウント)と対戦するも3着に敗れる。その後年末の桐花賞で勝利を収め引退した。生涯成績は43戦39勝。2000年にはその功績を讃え、岩手競馬の重賞競走に「トウケイニセイ記念」が誕生した。


引退後は北海道の日高軽種馬農協門別種馬場で種牡馬入り。しかし産駒はなかなか勝ちきれず、2004年に種牡馬を引退。

引退後はえりも町の牧場で余生を過ごし、2009年からは岩手県滝沢村の「馬っこパーク・いわて」に繋養された。

2011年の東日本大震災でオーナーの小野寺氏が被災。飼育費の支払いが難しくなったこともあり、有志によって繋養基金が設立された。しかし2012年3月6日、トウケイニセイは老衰により25歳でこの世を去った。

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