トウケイニセイ
とうけいにせい
父・トウケイホープは南関東と岩手で通算53戦22勝したが、成績が地方のみであったことや主流ではない血統だったため種牡馬となった後も繫殖牝馬がなかなか集まらず、オーナーが生産牧場を走り回って交配相手を探し、ようやく見つけた交配相手の1頭であるエースツバキから生まれたのがトウケイニセイである。
デビュー戦で勝利を収めるものの、屈腱炎を発症して1年半休養。復帰後は騙し騙しレースに出走させる状態が続いたが、それでも勝利し続けなんと18連勝。その余りの強さに後に「岩手の魔王」という二つ名が生まれたほど。
1993年、トウケイニセイは生涯初の重賞競走であるみちのく大賞典へ出走。このレースでトウケイニセイはレコード勝ちを収めた。
その後も脚の状態を見ながらレースに出走し、1995年のマイルチャンピオンシップ南部杯で初めて中央所属の馬(ライブリマウント)と対戦するも3着に敗れる。ただ、この時のトウケイニセイは既に8歳で競走馬としての盛りはとうに過ぎた歳であり鞍上の菅原騎手も「せめてあと一、二年前にこのレース(交流重賞)があれば」と悔しさをにじませたコメントを残している。
その後年末の桐花賞で勝利を収め引退した。生涯成績は43戦39勝。2000年にはその功績を讃え、岩手競馬の重賞競走に「トウケイニセイ記念」が誕生した。
引退後は北海道の日高軽種馬農協門別種馬場で種牡馬入り。しかし産駒はなかなか勝ちきれず、2004年に種牡馬を引退。
引退後はえりも町の牧場で余生を過ごし、2009年からは岩手県滝沢村の「馬っこパーク・いわて」に繋養された。
2011年の東日本大震災でオーナーの小野寺氏が被災。飼育費の支払いが難しくなったこともあり、有志によって繋養基金が設立された。しかし2012年3月6日、トウケイニセイは老衰により25歳でこの世を去った。
環境の変化に敏感で移動が苦手だったこと、足に爆弾を抱え続けていたことから遠征はほとんどなく時代的にも地方競馬はマイナーどころか苦境にあえいでいた時期、現役時代はネットすら全然普及していなかった時代ということで43戦39勝、連対を外したのも南部杯の一回のみという圧倒的な成績を残しつつも全国的な知名度は皆無であった。
しかし、後にメイセイオペラがフェブラリーステークスを勝利した際に鞍上の菅原騎手が「メイセイ(オペラ)もだいぶ強くなったけど、全盛期のニセイに比べたらまだまだ」というコメントを残したことでその凄まじい戦績を知った中央のファンに「このトウケイニセイって馬は全盛期どんだけ強かったんだよ」と驚愕させたという。
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