概要
後深草天皇の第二皇子、母は洞院愔子(玄輝門院)、名は熈仁(ひろひと)。
略歴
弘安10年(1287年)に後宇多天皇に譲位され即位。即位してしばらくは父後深草上皇の院政だっが後に新政を行う、天皇は持明院統だったが皇子胤仁親王を皇太子に選んだため、大覚寺統と対立、永仁6年(1298年)に皇太子胤仁親王(後伏見天皇)に譲位して上皇となり院政を開始する。上皇の院政は皇子花園天皇まで続き、文保元年(1317年)に崩御。
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