概要
後深草天皇の第二皇子、母は洞院愔子(玄輝門院)、名は熈仁(ひろひと)。
略歴
弘安10年(1287年)に後宇多天皇に譲位され即位。即位してしばらくは父後深草上皇の院政だっが後に新政を行う、天皇は持明院統だったが皇子胤仁親王を皇太子に選んだため、大覚寺統と対立、永仁6年(1298年)に皇太子胤仁親王(後伏見天皇)に譲位して上皇となり院政を開始する。上皇の院政は皇子花園天皇まで続き、文保元年(1317年)に崩御。
皇統
・璹子内親王
・寛性法親王
・延子内親王
・富仁親王(第95代・花園天皇)
・胤仁親王(第93代・後伏見天皇)
- 典侍:北畠親子 ー 北畠師親の養女
・尊悟入道親王
- 宮人:洞院英子 ー 洞院公宗の娘
・誉子内親王
- 宮人:正親町守子 ー 正親町実明の娘
・寛胤法親王
・道凞法親王
- 掌侍:三善衡子 ー 三善俊衡の娘
・尊円法親王
- 掌侍:高倉茂通の娘
・尊凞法親王
- 宮人:春日局 ー 任快の娘
・恵助法親王
- 宮人:西御方 ー 深源の娘
・聖珍法親王