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建山義紀の編集履歴

2023-01-28 11:22:38 バージョン

建山義紀

たてやまよしのり

建山義紀は日本の元プロ野球選手。

1975年生まれ。

中学時代はボーイズリーグのチームに所属、その時オーバースローから現在のサイドスローとなり、6番手ピッチャーから一気にエースとなる。

高校時代はエースを務める。同級生に上原浩治、ラグビーの大畑大介がいた。

その後甲賀総合科学専門学校⇒松下電器(共に社会人野球)を経て1998年にドラフト2位で日本ハムファイターズに入団。


1999年は新人ながら6月から先発ローテーションに定着し、防御率2.89で6勝を挙げる好投を見せた。

以後、先発、中継ぎ、抑えをこなす。


2010年に海外FA権を行使してのメジャー挑戦を表明、11月にテキサス・レンジャーズと80万ドルの1年契約を結んだ。

当初はマイナーだったが5月にメジャー昇格、初セーブと初勝利を挙げる。

2013年にトレードでニューヨーク・ヤンキースに移籍、しかしメジャー昇格出来ず2014年5月に契約解除。


同年6月25日に、阪神タイガースが建山の入団を発表したが成績を残せず11月に引退。

以後は野球解説者北海道を拠点として活動。

同じファイターズ出身の元投手である某解説者とは対照的に、淡々と的確に試合の流れに対してコメントするスタイル(そのせいか、その解説者は建山曰く「人の解説を堂々とパクる」らしい。真偽は不明)。ちなみにその某解説者の冠ラジオに偶にお便りを送っていたのだが、そのうち同じ日に2人とも試合の解説があると番組に乱入するようになり、挙句ラジオ側が台本まで用意するようになったらしい。ちなみにだいたい小競り合いをしている。勝つのはほとんど建山。

ただし仲は悪い訳では無いし、建山も先輩としてその解説者を尊敬はしているようである。ファイターズ開幕特番の配信があったとき、同席していた鶴岡慎也大宮龍男が(鶴岡に至っては解説者初年度にもかかわらず)その解説者を集中砲火で責め立てた時は見かねたのか庇っていた。

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