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グレート・ムタの編集履歴

2012-05-13 14:36:24 バージョン

グレート・ムタ

ぐれーとむた

グレート・ムタとは毒霧レスラーである

プロフィールによると、1989年4月2日・アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズ出身。ザ・グレート・カブキの息子。父と同じくゲーリー・ハートがマネージャーを務めた。ちなみに、ニューオーリンズ出身と言っておきながら「魔界出身」とか言ったり、「ボノ」とか言う息子がいたりする。


正しい概要

武藤敬司がアメリカのプロレス団体「WCW」に参戦した時に誕生した。元はプエルトリコでの修行時代にスーパー・ブラック・ニンジャのリングネームを名乗って活動していた所から始まる。これがNWAのプロモーターの目にとまり、ゲーリー・ハートのアドバイスにより、顔にペイントを施したザ・グレート・カブキの息子、「ザ・グレート・ムタ」が誕生。1989年にWCWに初登場するや、ムーンサルトプレスを必殺技にスティングやリック・フレアーとの抗争を経てヒールの人気レスラーとなった。


日本初登場は1990年9月7日、大阪府立体育会館でのサムライ・シロー(越中詩郎)戦であるが、7日後に広島で行われた馳浩との凄惨な流血マッチでスタイルが確立され、これ以後、年に何度か登場しては対戦相手を流血と毒霧地獄に追い込む試合展開をしている。


94年に武藤・蝶野vs長州・天龍の試合で、天龍の挑発とも取れる「ムタで来い」の台詞に触発し、すかさず蝶野をリング内に一人にし、およそ4分でムタに変身した事もあった。


闘魂三銃士の中で唯一、猪木とシングルマッチをやった事がある。


「ムタ」の由来

名前の「ムタ」の由来には諸説あり、代表的なところでは「「グレート・ムトウ」と外国人が「ムトウ」とうまく発音できないために、武藤自身が呼びやすい名前にした。」と、

「現地のWCWのテレビ放送において、「Great Mutou」とテロップを誤って「Great Muta」と表示されてしまったことから始まった」の2つ。


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プロレス

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