宮島連絡船
みやじまれんらくせん
概要
鉄道連絡船としての宮島連絡船は1903年5月8日に山陽鉄道が、既に1897年から芸備日日新聞(現在の中国新聞)の関連会社によって運営されていた渡船を買収し直営化する形で運航を開始したことに始まる。1906年に山陽鉄道が国有化され国鉄の鉄道連絡船となった。
1925年には広島電鉄が独自の鉄道連絡船「新宮島連絡船」を開設し競争状態となったが、1931年に撤退し国鉄連絡船との連絡運輸に切り替わった。
1939年に合資会社松大航運社が競合航路を開設。1958年に広島電鉄が同社に出資し宮島航路に再参入、これが現在まで続くライバル「宮島松大汽船」となる。
宮島連絡船は国鉄の組織変更(鉄道省→日本国有鉄道)、国鉄分割民営化によるJR西日本への移管などはあったものの長らく直営を維持し続けた。
鉄道連絡船の廃止が進み、1888年の海峡線・瀬戸大橋線開通以降JRグループ最後の鉄道連絡船とも言われた。(但し宇高航路は1990年に高速艇休止、翌年の廃止まで存続しており、1990年からはJR九州船舶事業部が博多~平戸~長崎オランダ村に鉄道連絡船を開設、1991年に博釜連絡船を再開しており、正確には「普通列車扱いとしてのJR最後の連絡船」である。)
2005年にJR九州が博釜航路をJR九州高速船として分社化したことに続き、2009年にJR西日本も宮島連絡船を「JR西日本宮島フェリー」として分社化し現在に至る。
現在の船舶
- ななうら丸(3代目)
就航:2016年 総トン数:268トン 全長:38.15m 幅:10.0m
搭載台数:普通乗用車6台 定員:460名(車両搭載なしの場合800名)
船名は厳島に7つの浦があることにちなみ、同名の船舶は当代で3代目となる。
後述する「みやじま丸」の改良・発展型。この船の収益により国鉄世代に建造された連絡船はすべて退役となった。
- みやじま丸(4代目)
就航:2006年 総トン数:254トン 全長:35.0m 幅:10.0m
搭載台数:普通乗用車7台 定員:503名(車両搭載なしの場合803名)
船名は厳島の通称である宮島にちなむ。日本初の小型電気推進フェリーである。
すなわち、船内に搭載されたディーゼルエンジンで発電し、その電力で船底に取り付けられた推進ポッドのスクリューを回転させて進む方式である。
この方式は先述の「ななうら丸」にも継承されている。
- みせん丸(4代目)
就航:1996年 総トン数:218トン 全長:34.7m 幅:9.5m
搭載台数:普通乗用車15台 定員:460名(車両搭載なしの場合800名)
宮島連絡船としてはJR化後に建造された最初の船であり、初の両頭フェリーでもある。
カーフェリーとしての機能が強化されており、3隻の中では車両搭載台数が最も多い。
船名は厳島にある山「弥山(みせん)」にちなむ。