概要
JR九州高速船は、ジェットフォイル「ビートル」によって博多港(福岡市)~釜山港や比田勝港(対馬)~釜山港を結んでいた。2005年まではJR九州の直営事業だった。
歴史
前史
1905年、山陽鉄道は「山陽汽船」(現在の同名会社とは別)という子会社を設立し下関と大韓帝国の釜山を結ぶ航路を運航した。釜山では京釜線と接続した。
翌年には、親会社共々鉄道国有法によって国有化され、鉄道省によって「関釜連絡船」として運航されることとなった。1910年には韓国併合により国内航路扱いに変更された。
1943年に戦時中の輸送力増強を目的に博多~釜山の航路「博釜連絡船」が増設された。
1945年の敗戦と、それに伴う韓国の独立によって国鉄航路として事実上消滅したが、その後も引き揚げを目的に1949年までは航路が運用されていた。
戦後の民間の動き
1960年には戦前博多~対馬~釜山航路を運航していた北九州商船の後身九州郵船が博多~釜山に貨物船を再開し、1970年に関釜フェリーが下関~釜山にフェリーを就航させた。1990年に日本郵船が子会社カメリアラインを設立し博多~釜山のフェリーを就航させた。
JR九州による海運事業参入
1987年に国鉄が分割民営化され、発足した九州旅客鉄道(JR九州)は、経営多角化の一環として航路運営に興味を示した。1990年にJR九州船舶事業部によって博多~平戸~長崎オランダ村の航路を開設、翌1991年には韓国鉄道庁との高速船運航協定締結が実現し博多~釜山のジェットフォイル航路が開設された。
1992年に長崎航路の終点を長崎オランダ村からハウステンボスに変更。1994年に長崎航路が休止された。
2005年に分社化されJR九州高速船株式会社が発足。
2020年以降運休が続き、その間の2021年にジェットフォイル「ビートル」の置き換えを目的とした新型船「クイーンビートル」が就航。臨時に復活した長崎航路など専ら遊覧船としての運航が行われていたものの2022年に博釜航路の運航が再開された。
「クイーンビートル」浸水隠しの不祥事と事業撤退
ところが、博釜航路再開の翌年となる2023年6月、航行中の「クイーンビートル」の浸水警報装置が作動したため、翌2月12日にダイバーを潜水させて確認したところ、船体に亀裂が発生していた。しかし、JR九州高速船は国への報告や、法律で義務づけられた臨時検査を行わなかった。これにより国土交通省から行政処分を受けた。
2024年2月には船体に浸水が確認されたものの、浸水センサーの位置を故意にずらす、浸水をポンプで排水する、航海日誌を偽装するなどの隠蔽を行いながら、3ヶ月間運航を続けていた。
国土交通省の抜き打ち検査でこれらの隠蔽工作が行われていたことが発覚し、同年9月17日、国はJR九州高速船に対し、海上運送法に基づく行政処分の「輸送の安全確保命令」と「安全統括管理者・運航管理者の解任命令」を出した。同社への確保命令は同船への浸水に絡み2年連続で、解任命令が出されるのは史上初。
隠蔽を指示したJR九州高速船の前社長、当時の安全統括管理者、運航管理者のあわせて3人が懲戒解雇処分となり、親会社のJR九州の社長と担当常務も減給処分を課した。
2024年8月9日、JR九州高速船は「クイーンビートル」を8月13日以降運休し、新規予約の受付を中止した。その後もJR九州は高速船の運航再開に向けて模索していたものの、同年12月23日、同社社長の記者会見にて「日韓航路からの撤退」を発表。クイーンビートルに対策を施しても船体の亀裂の発生を完全に防ぎきれないことを理由に挙げた。
これにより、JR九州高速船は(JR九州直営時代から含め)33年の歴史に幕を下ろすこととなった。なお、福岡と釜山を結ぶ航路は、韓国企業による「かめりあ」も存在し、そちらについては通常運航中。