古川修とは、漫画「クローズ」の登場人物である。
概要
坊屋春道と同世代で焚八商業高校の頭、そして鈴蘭男子高校や鳳仙学園と肩を並べる黒焚連合の初代総長である。
義理人情に厚くおおらかな性格だが、女性にはモテない。
実力
3年時点で街の中では春道、鳳仙の美藤竜也、武装戦線の九能龍信と並んで「四天王」と呼ばれている。
ただ、2年では強敵として石井剛、3年では金山丈(キングジョー)に勝っているが、いずれも辛勝と呼べるものであり、3人はもっと強い相手に勝っていることから、「喧嘩の強さだけ」ならブルは3人と比べて、明らかに格が一枚落ちる印象がある。
ただ、春道はブルの喧嘩の強さについて、「本気になったブルには勝てないかもしれねえ」と語っている。
しかし彼の最大の武器は、さりげなく他者を気遣える「思いやりの心」、不利な状況でもブレずに困難に挑む「男気」、相手を見下さず気さくに接する「礼節」といった、作中に登場する不良たちにはない人間的な魅力。
焚八の頭だった頃は目立たなかったが、黒焚連合を結成してからはリーダーとしての素質につながり、親しみやすさと貫録を兼ね備えたリーダーに成長していった。
一方、想像以上に巨大な組織のトップになったことに対し不安を持っていたが、悩みを相談できる相手として兄弟分の春道がいたことで、下に見せる弱みは最小限で済んでいる。
活躍
2年次
道で知り合った春道を「坊屋春道」と知らずに意気投合。ライバル校である黒咲工業高校のトップである丸山健一(マルケン)と角住賢一(カクケン)との対決で春道を助っ人に連れて行ったところ、カクケンを一撃でぶっ飛ばす春道の強さに驚愕。
翌日、マルケン、カクケンとの話し合いの場で、強大な鈴蘭に対抗するため、黒咲工・焚八商の垣根を越えた同盟「黒焚連合」の結成を提案。
そして近隣の凶暴な武闘派集団「極龍会」を3人と春道で潰すことを提案するのだが、マルカクが春道を「鈴蘭の頭」と言ったことがきっかけで春道が離れ、春道が傷ついた理由を察したブルがマルカクを責めたことで、結成したはずの黒焚連合は4時間で解散してしまう。
自分で言ったことは引っ込めないと覚悟を決めて、極龍会の集会にブルは一人で乗り込む。さすがに多勢に無勢で追い詰められるが、桐島ヒロミの入れ知恵によってマルカクが救援に現れ、極龍会を潰すことに成功、黒焚連合も再結成となった。また、春道も陰ながら救援に駆けつけており、倒した覚えがない相手が倒れていたことから春道に気づいたブルは、公園にいた春道を訪ね、改めて友情を結んだ。
黒焚連合を結んだブルとマルカクは当初こそ五分の兄弟だったが、ブルの器の大きさに気づいた二人から総長として推薦される。一方、近隣校である塚本高・七森工業高校が連合を組み、黒焚連合に1対1のタイマン勝負をふっかけてくる。何かあると周囲が心配する中で迎えた当日、呉国神社でブルが戦う相手は自分より一回り大きい石井剛だった。黒焚連合が潰されるかどうかの勝負で苦戦しながらも粘り強く立ち向かい、最後は駆け付けた春道の応援もあって勝利した。
その後、黒焚連合を傘下にしようと目論んだ塚本高・七森工業には何も要求することなく帰したのだが、その勝負を見届けた百合川南高校の高梨修と片山千秋、同じく居合わせた河田二高の石川政雄、さらに敵対していた七森工業の平島信吾も連合への加入を表明。のちに塚本高校も加入を表明し、黒焚連合は一気に巨大組織となる。
黒焚連合の幹部がバラバラである事に苦慮する中、雨の降る夜に横着して道路を横切ったことが災いして、トラックに正面からはねられてしまう。命に別状はなかったが、事故の後遺症で左耳がほとんど聞こえなくなったばかりか、ブルと戦った石井兄弟を県南から追ってきた3人組によって、黒焚連合は敗北してしまう。だが、その負けで幹部たちの気持ちはブルの元に集まることを約束して結束を固め、退院したブルを出迎える。そしてブルは杖をつきながらも彼らを受け入れ、それを見た黒焚連合の一同は大いに沸き立った。
その後に行われた鈴蘭と鳳仙の抗争では直接関わることはなかったが、抗争初期に大怪我を負った春道を心配しており、無茶をする春道を押しとどめていた。
また、春道がリンダマンにどうやって喧嘩を売るかについての相談に乗っており、挑戦状を渡す案を出している。決闘が行われる護国神社では戦う前に揉め事を起こす面々を一喝で抑え込んで見せた。
3年次
河田二高の石川を倒した中島信助の前に現れ、挨拶一つで彼を心服させるなど、四天王と呼ばれるに相応しい貫録を身に着けている。
また、1年で鳳仙のトップに立ったキングジョーの挑戦を受け、辛くも撃退した。
その動きを受けて時代の幕が下りつつあるのを感じ、車の免許取得に挑む。学科試験に苦戦したが、苦節8回目にしてついに合格。最終回で黒焚連合の仲間と春道達に迎えられることとなった。
その後
卒業後は父親が経営する「古川鉄工」に入社。5年後には父親が引退したことで23歳で社長となるも、持ち前の体力と明るさで会社を大きく発展させたという。