鷲から若獅子へ
1967年、第三次中東戦争が勃発。
この戦争は戦争への動きをくみ取ったイスラエルが開戦直前に先制攻撃したものである。
当然ながら『戦争は仕掛けた方が悪い』と決まっており、
イスラエルは国際的な非難を浴びる事になった。
一応、イスラエルの側では「自衛の為の予防攻撃である」と主張していたが、
「戦争後は国土が4倍に広がった」とあっては、まともに聞く者は少なかった。
主だった戦闘はわずか1週間で終わったが、
その後は主力を失ったアラブ連合と、イスラエルの間で2年間も戦闘が続いた。
これには世界中の国が非難を注ぎ、
中でも兵器の主な輸入先であったフランスの対応は痛かった。
新型戦闘機の輸入を止められてしまったのだ。
(ミラージュ50)
替わってライセンス生産契約が結ばれる事になったが、
これも諸般の事情でエンジンだけが生産出来ないことになってしまう。
そこでイスラエルが採った方策が、
『スパイ機関(モサド)によるエンジン設計図の入手』である。
かくしてスイスからエンジン設計図を手に入れ、
ミラージュは生産されることになった。
これが『ネシェル戦闘機』で、鷲の意味がある。
とくに搭載されていたJ-79エンジンが高性能だったので、ネシェルにも導入する事が検討された。
これがサルボ・ラーム・バラクといった試作機で、
開発は第四次中東戦争に行われている。
クフィルとして完成し、実戦配備されたのは終結後となった。