概要
1942(昭和17)年に大日本帝国海軍が、首都防空部隊用の飛行場として完成させたのが始まり。その後は訓練航空隊の基地として使われたが、1944(昭和19)年3月1日に海軍初の局地戦闘機航空隊として第三〇二航空隊が発足、その基地として使用された。
その後終戦まで首都防空に奮戦したが、1945(昭和20)年8月15日の終戦を迎えても航空隊司令の小園安名大佐が徹底抗戦を訴えて、他部隊に決起を呼び掛ける事件が発生。結局21日に小園が逮捕・連行され、なお交戦を続けようとした将兵も26日までに投降し終息した。
8月28日、連合国軍の先遣隊が厚木飛行場に到着し飛行場を接収。そして30日に最高司令官であるダグラス・マッカーサー米陸軍元帥が厚木に降り立ち、日本の占領統治の第1日目を記すこととなった。
接収後は陸軍航空隊が使用した後、陸軍の物資集積場として使用され日本へ返還されることも考えられたが、1950(昭和25)年に始まった朝鮮戦争でにわかに注目されるようになったことで、海軍の空母航空団の基地として使用が継続されることになった。また1971(昭和46)年からは海軍時代から数えて26年ぶりに海上自衛隊の基地としても使用され始め、1973(昭和48)年からは海自の航空部隊を統括する航空集団司令部も厚木に移動することになった。
余談
「厚木飛行場」とされているが、実際は綾瀬市が全面積の8割弱、残りが大和市となっており、厚木市とは接していない。