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マクシミヌス・トラクスの編集履歴

2012-06-30 14:11:17 バージョン

マクシミヌス・トラクス

まくしみぬすとらくす

25代ローマ元首 通称:ジャイアン

CAESAR GAIVS JVLIVS VERVS MAXIMINVS AVGVSTVS AVGVSTVS

AVGVSTVS2個書いてあるのは『間違いではない』この人物の性格を表す事の一つ。

世没173年頃 - 238年5月10日(65歳)
治世235年 - 238年(3年)

25代ローマ元首

ヘリオガバルスの弟、ローマ元首アレクサンデル・セウェルスの命を奪ったローマ軍団長。その後勝手にローマ元首に即位を宣言する。

ヤクザ元首 マクシミヌス

トラキア出身の田舎者のたたき上げのローマの兵であり、身長2m60cmである

自身も決して行儀はよくなかったらしい。しかも文盲である。


そして彼自身ローマの上流階級を憎しみをかくそうとしなかった、当然セナートスの元老議員とも関係は最悪であったがかまうことはしなかった。 というより口答えをした議員や関係者を自ら処刑してまわった


しかも彼はローマ元首に即位してから一度も帝都ローマに来なかった、マクシミヌスは自身の前線の軍団からローマ全体を統治を行った。彼はローマ帝国の全ての税金をローマ帝国軍に注ぎ込むことを指示、まったく文化政策などに興味関心は全くなかったのである。


当然上流階級ローマ市民から反発がきたがマクシミヌス自ら剣をふりまわし、処刑してまわった

いい加減にしろマクシミヌス!! 元老議員

その後セナートスは、おいぼれ上流階級のゴルディアス親子をローマ元首に就任させ、ヤクザのマクシミヌスの権力を失効させようとする。マクシミヌスはこれに激怒セナートス『粛清』するために動きだした。


しかしゴルディアス親子はマクシミヌスと交戦することなく、隣の総督の管轄する軍団に反乱軍として敗れ去り死ぬ


セナートスはゴルディアスの死に焦りまくり、老元老議員のプピエヌスバルビヌスローマ元首にしマクシミヌスとの決戦を図る、ただ普通に考えればマクシミヌスにかなうとは思わなかった・・。

マクシミヌス暗殺

結局、ヤクザのマクシミヌスはプピエヌスバルビヌスと戦う前に、嫌気のさした軍団兵士に暗殺されてしまう。プピエヌスバルビヌスはこれで平和が訪れるとおもわれた。

またも惨劇が

プピエヌスバルビヌスはマクミヌスの首をローマに持ち帰り凱旋したが、ここでなんとこのじじい皇帝2人に仕えることに拒否反応を起こした皇帝親衛隊じじい皇帝2人暗殺してしまった!!


大丈夫かローマ

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