レビュー(概要)
※注:原文ママ
☆☆☆☆☆ 一言で言うなら時代がそれを許さなかった
二人の邂逅は昭和15年、晶子61歳、力道山15歳のことであった。
老いたりともいえ血気盛んな晶子が力道山に後れを取るということはない。
若い力道山のバナナを揉んでやろうという気概は当然持っていた。
本書は『なぜ』の部分にスポットを当て、関係者たちの証言によって進められるドキュメンタリーである。
平塚らいてう、山田わか、児玉誉士夫、田岡一雄、梶原一騎などへのインタビューによって、官能的とも言われた寝技を駆使し『やわ肌の晶子』と異名をとった柔道活動や、東スポ誌上で行われた論戦の顛末が詳細に浮かび上がる。
そこには若い力道山に対する親愛の情や、これから花開かんとするプロレス文化への期待が読み取れる。
『なぜ殺さなかったのか』ではなく『なぜこの二人が同じ時代を生きたのか』を書き起こした著者渾身の一冊である。
105 無念 Name としあき 20/03/18(水)05:07:22
>若い力道山のバナナを揉んでやろうという気概は当然持っていた。
朝っぱらから怪文書貼りたまふことなかれ
真面目な概要
2020年頃、ふたば☆ちゃんねるのスレに投下された架空の著書のレビューである。
増田俊也氏の著書『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の表紙の木村政彦の顔を与謝野晶子の顔写真に置き換えたコラ画像がインパクトを醸し出している。
↓イメージ
言うまでもないが与謝野晶子は歌人・作家であり、柔道家でもプロレスラーでもない。ましてや力道山と会った事も(おそらく)ない。史実ではそもそも1940年早期に晶子は脳出血で半身不随になっている(本人の項を参照)。
ふたばでは古くから軍人や格闘家の体に晶子の顔をコラージュする遊びが人気を博しており、このネタもその一環として製作されたものである。
関連タグ
木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか...元ネタの書籍。