9代ローマ元首 厳罰主義者暴虐君として記録抹殺
ティトゥスの共同元首としてしられるが、ティトスと違い英才教育は受けさせてもらえなかった。元首ティトゥスが急死すると急遽ローマ元首に即位。
無慈悲な元首
潔癖な政治を志したせいか、治世の末期は暴虐をもって伝えられる。無慈悲な法を制定し、市民から言論の自由を奪った。
元老議員や騎士階級のものをたびたび告発しては死刑にした。貴族階級に公然と敵意を示し、セナートスの決議をしばしば無効にした。そして自身を現人神と公言し、崇拝を強要するにいたった。
しかし彼はローマ帝国軍を優遇し政治手腕も無慈悲ではあるが有能であったようで、軍部からは支持されてはいたが、生き苦しい時代だったようだ。
96年に数々の非常な法律の報いをうけて、配下の奴隷と議員により惨殺された。