第10代ローマ皇帝
本名 | テットゥス・フラウィウス・ウェスパシアヌス |
皇帝名 | ティトゥス・フラウィウス・カエサル・ウェスパシアヌス・アウグストス |
スペル | TITVS FLAVIVS CAESAR VESPASIANVS AVGVSTVS |
権力 | ウェスパシアヌスの遺言より継承 |
統治 | 79年6月24日 – 81年9月13日(2年) |
生没 | 39年12月30日 ローマ(イタリア本土)- 81年9月13日(42歳) |
ウェスパシアヌスの長男、父が元首となったときに側近として活躍した。父の後継となるも2年で病死。彼は父、10代ウェスパシアヌスが元首になったときに30歳であった、その時から早々と父から後継者に指名され、父の副官として働いた。子の副官は共同元首ともいわれるが、権力がウェスパシヤヌス中心だったので、共同とはいえない。ティトゥスは皇帝親衛隊長官も兼任し、さらに父の障害となるものを非合理的に抹殺していくという汚れ役も果たしたといわれ、ローマ人・ローマ市民からは非道人と恐れられ、嫌われていた。その頃二男、ドミティアヌスはなんの仕事も与えられず、別邸で屈辱の隠遁生活をしていた。
79年に父ウェスパシアヌスが老衰で崩御すると、後継として即座にティトゥスはローマ皇帝となった。しかし彼の人気は非道の認識であったローマ人の間では低く『第二のネロ』になるとささやかれた。しかし彼は、予想に反し善政を敷いた、即位した直後に起こったベスビオ火山の噴火によるポンペイ消失などの対処などの指揮・対応が良かったことなどが、徐々にローマ人に好感をもたれるようになり、「ティトゥスの存在は人類すべての幸福である、彼は人類すべての友達である」と呼ばれるようにまでなった。彼の治世中にコロシアム(コロッセオ)が完成した。彼は行幸中に、突然熱病(マラリア説あり)を発症し、病床で苦しみながら息を引き取ったという。享年42歳
後継はドミティアヌスが継承した。良いイメージのティトゥスだが当時の識者は「治世が短ければだれだって良い元首でいられる、彼の仮面は外れ落ちなかっただろうか」という記述を残した。