概要
1921年1月6日生まれ、兵庫県生まれの高知県育ち。元海軍将校。
1946年阪神電鉄に入社。1982年には社長、1992年には会長まで上り詰めた。
慎重な経営方針で知られ、バブルの頃も慎重かつ保守的な姿勢を崩さなかった。
このことが、バブル崩壊後の不況下においても経営の安定を保つことにつながったとされる。
阪神タイガースのオーナーとしても有名で、1984年から2004年までの20年間にわたり務めた。
しかし在任期間中は、Aクラス4回、最下位10回と低迷。「暗黒時代を招いた張本人」としてファンからの評判は決して良くはなかった。
2011年9月9日、老衰のため死去。
阪神タイガースオーナーとして
巨人のナベツネと並び、名物オーナーとして知られていた。
とはいえ、前述の通りチームの低迷も相まってファンからの評判は芳しくなかった。
補強費を出さないなどドケチな経営方針であったとされ、こうした方針への批判の声も大きく、現に2001年には、後に監督になる星野仙一から「低迷の全責任は、全権限を握る立場であるオーナーにある」と面と向かって批判されている。
また、1986年オフに飲酒運転で逮捕された掛布雅之を「欠陥商品」と断じるなど、歯に衣着せぬ発言でも知られた。
とはいえ、野村・星野両監督の招聘や金本知憲の獲得などに関してオーナーとして辣腕を振るったのも事実である。
2004年の球界再編問題の際には、1リーグ制を主張した巨人などとは対照的に、2リーグ制維持を主張した。