IMPERATOR CAESAR LICIVS AVRELIVS VERVS AVGVSTVS
本名 | ルキウス・ケイオニウス・コンモドゥス(LICIVS CEIONIVS COMMODVS) |
養子名 | ルキウス・アンニウス・アウレリウス・コンモドゥス(LICIVS AELIVS AVRELIVS COMMODVS) |
皇帝名 | インペラートル・カエサル・ルキウス・アウレリウス・ヴェルス・アウグストス |
生没 | 130年 - 169年(39歳) |
権力 | 元首マルクス・アウレリウスから |
統治 | 161年 - 169(8年) |
概要
ローマ元首(15代)マルクスの弟分、兄とともに共同のローマ元首になる。ルキウス・ウェルスともいう。
少年期
- マルクスとルキウス(イメージ)
ルキウスはアエリウス・カエサルの息子として育ち、9歳年上のマルクス・カティリウス(マルクス・アウレリウス)とは顔見知りであった。父アエリウスが138年に早世すると、彼は元首ハドリアヌスのもとへ引き取られたが年内にハドリアヌスも崩御した。
ハドリアヌスは亡くなる直前に執政アントニヌスにルキウスとマルクスの後見人となることを約束していたので、アントニヌスはルキウスとマルクスの義父となった。
161年に元首アントニヌス崩御うするとマルクス・アウレリウスがローマ元首を継承した。この時マルクスは事前に手筈はうっておいたのだろう、弟分のルキウスも彼と同じ権力を握ることをセナートス(元老院)に報告した、元老院は一応承認し史上初の共同元首政が行われた。
ルキウスの評判
ルキウスの評判はあまり良くなく、質素を貫いたマルクスとは対照的にルキウスは享楽的で馬競争や興業にうつつを抜かしていることが多かった、しかし政治はほぼマルクスが動かしていたのでさし障りはなかったようである。しかしルキウスは彼のマルクスより戦上手だったようで。指揮の苦手なマルクスに変わり前線で補佐したと言われる。
天然痘による早世
169年にパルティアとの戦争に勝利した後、軍団兵が持ち帰った疫病がローマ全土で大流行した(天然痘といわれる)その病にルキウスは倒れ、死亡したとされる。享年39歳
関連
- マルクス・アウレリウス:15代(同時代)