CV:潘めぐみ
注意!
このキャラクターは、その所業故にアンチが非常に多く、時折過剰なキャラヘイト表現や、「似たような人物」など本来の記事内容の趣旨からズレた書き込みが行われる事があり、それが原因となって編集合戦へと発展する事も多々あります。あくまでも紹介記事なので、偏りを含んだ表現は絶対に控えるようにお願いします。
概要
小学生偏
西宮が転校してきた最初期は、彼女の一つ前の座席であったこともあり、彼女の左斜め後ろの席である植野と協力して西宮のための様々なサポートを行っていた。
しかし、それがやがて――。
高校生偏
石田や永束、真柴らと同じ学級のクラスメイトで、学級委員長。真柴に好意を寄せている。高校が別々になっているが、植野とは交遊が続いている。
石田から佐原についての情報を問われた際に学校を教えたり、植野からの頼みで石田と上野を引き合わせる役をするなどして、少しずつ石田と西宮達の関係の中に関わっていく。
真柴に合わせて最終的には杭瀬大学に進学した。
髪型が三つ編み→ストレート→三つ編みと変化している。
性格
石田視点では利己的で共感性が欠如しており、表向きはいじめを否定しつつも、クラスメイトの植野と共に西宮へのいじめを楽しんでるように見えている。
しかしそれは実は石田の主観と誤認である所が大きく、実際には西宮を悪く言ったり危害を加えた描写は実は一度も存在していない。
寧ろ彼女なりにいじめ抑止に動いている。
良くも悪くも石田と西宮を特別視せず、いじめに積極的な関与をしなかっただけであり、西宮の世話役を苦もなくやっていたり、石田のいじめを因果応報とは言いつつ参加せず高校時には友好的な態度を取っている。
実際に監督や作者も川井を聖母のような存在。素敵な女の子と評価している。
余談
総合すると善人よりと言えるのだが、石田の誤認や各々の視点から見た場合等により一概に悪人とも善人とも言えない人物である(詳細は後述)
映画が地上波で放送された際には、主人公たちを差し置いてTwitterのトレンドに浮上するなど、良くも悪くも取り沙汰されることが多い。
すこし前は悪人一辺倒だったが、近年では善人として評価もされ、人物像が定まらず熱い議論が交わされている。
石田視点と実際の真実
そもそもこの聲の形という作品自体が石田視点で物語が進むというコンセプトのため、どうしても彼女の行動全てに他意があり裏があるように見えてしまうので読者からの評価もかなり低い。
しかし、ファンブックで作者が明かした内容によると川井は自己演出したり嘘をついたり等は一切しておらず、作中で流れる涙も全ては本物だったという衝撃の事実が判明し、川井が悪人に見えていたのは実は全てミスリードだった事が明かされた。
作者からは川井は皆が思ってるようなあざとい子ではなく終始本当の事をいっている。素敵な女の子アニメ監督からは聖母みたいな女の子として描かれてる事が語られている。
映画版の合唱コンクールでは、川井が口パクをして西宮をわざと失敗させて良い子の自分を演出したかのように見える描写がある為に視聴者の反感を買ったが、作者によると川井は自己演出を一切しない子であり、西宮が純粋に間違えたのを川井がフォローして音程役を買って出るというとんでもない場面であった。
実際によく注意して見ると西宮は川井だけに注目しておらず左側の女子も見ており、実はその左側の女子も歌う前に口が開いている。
これは人間が歌う前に無意識にする生理的な動作であるのだが、視覚からの情報に頼っている西宮はそれを勘違いして歌い出しを間違えてしまった。
学級裁判で嘘泣きしたように見えたのも評価を落とす一因になっているが、石田の「植野と川井も西宮の悪口を言っていた」という発言は植野は当たっているが川井に関しては本当に事実として悪口を言った事はないので、してもない悪事の濡れ衣を着せられた事に普通に傷つき本気で泣いたのが真相である。
指摘された際には、図星だった植野は怒りの表情を浮かべているのと対照的に事実無根の川井は青ざめているという対比がなされている。
また、確かに同調してはいたもののフォローしてたのも確かである。
例えば植野が「西宮さんって日本語喋れるの~?」と意地悪を言っていた場面では苦笑いを浮かべているもののアダ名の話題に上手く変換したり、植野の愚痴に「分かる~」と同調している場面も実は上のコマでは植野と二人の場合はフォローして怒りを静めようとしていた(流石に人数が増えると出来ずに同調した)
目立った救済ではないが、川井なりに何とかしようという意思はあったのである。
また、我々読者にとって石田と西宮は特別な主人公と、特別なヒロインではあるが、川井にとって西宮は耳の聞こえない他人、石田は植野が思いを寄せている乱暴な男子でしか無いことも留意していただきたい。
人としての常識と良識でハンデのある子に優しくしたり世話をするし、いじめられれば一応は注意したり先生にも報告はするし、例え自分に濡れ衣を着せてきた石田であっても、イジメには参加しない。
しかし親友でもなければ、特別な存在でもないので流石に代わりにいじめられたり、立ち向かおうとはしないのである。
実質何も出来なかった佐原や直接的に西宮いじめと石田いじめに参加してた植野に比べれば、西宮の介護もしているし、いじめ抑止に動いているし、悪事も働いてないのだが、西宮に特別な友情を抱いてた佐原や石田に特別な恋愛感情を抱いてた植野と違い、川井は二人への思い入れが当時ほぼない。
川井の優しさは言わば目の前で人が倒れてたら見知らぬ他人であっても駆け寄って救急車を呼ぶ類いの物でしかない。
それはそれで優しい子ではあるが、石田や西宮を特別視している読者にとっては薄情で偽善的に見える原因の一つでもある。
しかし西宮と石田をキチンと友人と認識した高校生の頃からは、石田が西宮へのいじめをからかいと表現した際に「ちゃんと反省してるの?」と叱ったり、植野が石田の病室に立て籠って西宮を排除した時も西宮の為に植野を怒っている。
また、二度も濡れ衣を着せて来た石田に対しても積極的に見舞いに行ったり千羽鶴を折ったり「罰を受けて反省してるから許してあげるべきかもしれない」と考えている。
要するに他人への対応と友人への対応が違うだけで保身第一の子という訳ではないのである。
もっともそのあたりの描写があまりにも分かりづらいのも事実だが、それは石田が「川井は俺の事なんかどうでもよくて真柴のオマケで友好的な態度を取っている。俺の事は内心嫌ってる」と思い込んでる節がある為である。
実際には川井は交流してる内に石田の事は良き友人として認識していた。
また、川井は西宮に起こった一連のことをいじめと表現しているが、これは「自分は当事者ではない」という安心感を得るためだとファンブックで語られており、そこを認識した上でいじめという言葉を使わなかったのは石田のみである。
しかしながら、作中で石田は西宮へのいじめをからかっていたと表現してるので、川井のいじめていたの方が正確と言えるだろう。
映画作りの際に石田視点では西宮を仲間外れにしてるように見える故にこれも読者からの低評価に繋がってるが、ファンブックによって石田の認識と周りの認識との単なる齟齬であった事が作者の口から明かされている。
事実、仲間外れにする意図や悪意は無かったので石田がちゃんと伝えて認識を改めてからはキチンと軌道修正してる。
また、過去に西宮が合唱に参加して失敗した際に石田がキレて黒板に酷い落書きをしたりいじめを劇化させたのを川井は見ていたので二の舞を防ぎたかったのもある。
(寧ろ失敗した西宮に暴力をふるっていた張本人である石田がその事を忘れて「何で西宮を仲間外れにするんだよ」的な考えなのが少し可笑しい)
教室で石田の過去の暴露をした事でも悪印象を持たれているが、実際には石田が西宮のいじめを「西宮をからかってた」と言ったり「川井さんだって西宮の悪口を言っていた」と言われた事で学級裁判の時のように、石田は未だに記憶を捏造し無自覚に嘘をつき続けていると感じたが故であった。
実際、よーく見てみると川井が西宮の悪口を言った場面は一度も存在せず、植野や他のクラスメートの陰口に「分かる」と相槌したり同調して笑っていただけだったのを石田が当時拡大解釈しすぎたのが原因であると考えられる。
しかもその場面すらも、実際には川井はフォローしてることが多い。
クラスの大勢が聞こえるように言った事に関しても、石田に声を小さくする様に言われて、ちゃんと配慮はして冷静に話し合おうとはしていた。
その際に石田が過去のいじめを「西宮をからかっていた」と表現していたので「本当に反省してる?」と叱った所、石田に大声を出されたので「変わっていない」と判断して恐怖し、周囲に助けを求めた為である。
その後はちゃんと石田にも謝罪しており、真柴にも「石田くんは反省してる」と伝えている。
川井が「自分は何度も辞めるよう言ったが石田くんは聞かなかった。注意したら次は自分がいじめられるかもと思い怖かった」という発言も石田や植野にとっては責任逃れにしか見えていないが、これも事実である。
笑いながらではあったものの、原作で川井は石田を注意したり先生に報告したりしている描写は確かにあった。
佐原に対しても原作では悪口に参加した描写はなく、映画では「ダメだよなおちゃん」と同調して笑ってはいたが一応は注意してた。
彼女視点では石田に強く注意出来なかったのも、聴覚障害者である西宮に異常な執着を燃やして酷い暴力をふるい、流血沙汰まで起こす石田が本気で怖かった為であり、担任の先生に報告する等、彼女なりにいじめの抑止には動いていた。
しかし石田の中では「川井も西宮の悪口を言っていた」というのが確かな事実なので、それをずっと認めない川井は嫌な女子に見えており、川井は酷く狡猾で行動の全てに他意や裏があると石田は解釈し続け、その主観に引っ張られた読者からの悪いイメージや低い評価に繋がっている。
しかし、何度も言うように川井が作中で西宮の悪口を言ったり危害を加えた描写は1度たりとも存在せず、石田も見たことも聞いた事もない
同調して笑っていた場面はあるが、その場面すらも実は川井なりに西宮をフォローしていたりする。
実際には割といじめ抑止に動いているのだが、川井は自分は西宮を助けられなかったという思いがあるので『同調気味でちゃんと注意出来てなかった』と川井は作中内で認めており、佐原の「怖かった」という発言にも反論せず受け止めている。
(因みに原作では川井は佐原の悪口に参加した描写はなく、映画でも同調して笑いつつも「駄目だよ」と一応はたしなめてはいた)
その上で石田の言うような「悪口を言っていた」はやってないと事実そのままに言ってるだけであった。
つまり教室での暴露シーンは、本当の事を言っている石田と責任逃れで嘘をついてる川井ではなく無意識に嘘をつき続けている石田と本当の事を言っている川井という構図であった。
しかし当時の石田に嘘をついてるという認識はなく、「川井は西宮の悪口をいっていた」と本気で思い込んでいた為に読者も川井は西宮の悪口を言ってたと勘違いする者が続出した。
石田は川井に「記憶の捏造をせずに真実を見て」と指摘されて改めて記憶を辿った際には川井が西宮の悪口を言ったという明確な記憶がない事に気づき、自分の記憶はあてにならないと自覚する描写がある。
学級裁判でしてもない悪事を石田に濡れ衣を着せられて泣かされたり、教室で「川井も西宮をいじめていた」と石田に再度濡れ衣を着せられて真柴から「川井もいじめ加害者だったのでは?」と疑われたりクラスメイトの一部からも「石田が飛び降りたのは川井が原因では?」とあらぬ噂を立てられたりと、被害者ぶってるのではなく普通に石田の記憶捏造と無自覚の嘘の被害者だったりする。
川井は自分が恐怖心から同調し、立ち向かえなかった事を認めてはいるが恐怖を与えて同調を強制していた張本人たちがそれをいうのは話が違うので反発していただけで「自分は何も悪くない」と思っている訳ではないのである。
ファンブックによると真柴は当時、川井を悪人と認識しておりその人間性を見抜いた気になっていたそうだが、川井が西宮を励ましてるのを見て「川井さんってこんな優しいのか」と驚き、認識を改めたと書かれている。
その為に二人はその後も関係は続いており成人式の時には川井は真柴から指輪を貰えるまでになっている。
もっとも、真柴はまだ川井と付き合ってるという認識はなくなぁなぁの関係を楽しんでいるが、真柴に川井は適任との事なので相性自体は良いらしく、あれはあれで1つの愛の形と言えよう。
作者が彼女は自分を演出するような性格ではなく、自分が正しいと思ったことを素直に実行するキャラクターであると証言していることから、彼女の行動は全て彼女なりの正義に基づいており、優等生ぶっていると見られがちな行動も全て素でやっていたことが分かる。結果的に他の人物をイラつかせたり追い詰めたりもしたが、中には良い結果を生んだものもあった。
しかし、石田の過去をクラスに暴露しておきながら、昏睡状態となった石田のために千羽鶴を集めようとしたことに関しては善意が空回ってると言える。
これに関しても上記の『自分が正しいと思ったことを素直に実行する』というものなのだろうし、純粋に石田への友情と善意でやっていると思われるが、クラスメイトの同意を得ることなく勝手に決めてしまったために、クラスの半数以上から反感を買ってしまったようである。
最終的には半数も集まらなかったと話していたが、それでも数百羽単位で集める事には成功しており、石田もそのことについては素直に喜び感謝している。
また、喧嘩の仲裁に入ろうとしただけの永束に対し「汚い!触らないで!」と暴言を吐き乱暴に振り払うなど、彼女自身にも明確な欠点はある。
確かに永束は石田にすがり付く際にトイレで腹這いになるなど不潔な描写はあったものの、まだその時点では友人として深く関わっていない川井がそういったことを認知しているとは考えにくい。
その前に永束から固い態度で自信の書いた映画の脚本にダメ出しされていることなどからフラストレーションが溜まっていた可能性も考えられるが、監督である永束を無視して勝手に仕切ったり、脚本を一から作り直したりしたために多少なりとも拒絶されるのは仕方がないといえる。
このシーンは上野と激しい口論になっている途中の出来事であり、怒りで興奮していたが故に思わず出てしまった言動であるが、明確な八つ当たりである上に少なくとも永塚は石田や読者目線では善人であるため、川井の評価を大きく下げることに繋がってしまったシーンとなっている。
この様に、川井は主観的評価と客観的事実が大きく乖離した稀有なキャラクターであり、認知が歪めばどれだけ客観的事実が目の前にあっても真実が見えなくなることの代表的な例といえる。
総括
まとめると川井自身は多少不器用ながらも、「石田の思い込みとそれによる「風評被害」にめぐり合わせてしまった所に依る部分が大きいと思われる。
そもそも誰しもが始めから完璧なヒーローではなく、当時の川井にとって西宮がただのハンデある他人である以上、あれが対応として限界なのも事実である。
彼女も例えば植野ではなく佐原と友人となって手を組み、西宮とキチンと友達になれていたら……多少なりとも西宮のために活躍する姿を見ることができたかもしれない。
実際、西宮と友人になった高校では石田の病室を締め出された西宮の為に植野に立ち向かって怒っている。
だが、先述した解釈を踏まえた上で考慮しても、彼女の思想・行動は完璧な善人といえない。
また、あえて穿った見方になるが、この辺はここまでズタボロに言われまくった川井の汚名返上・名誉挽回の機会を作れなかった大今良時氏と監督の山田尚子氏の実力不足・描写不足としか言いようがない、という考え方もできる。
逆に言えば、徹底的に石田視点の描写を容赦なく事細かに素晴らしく描き過ぎたクオリティの高さ故とも言える。
そもそも上記のミスリードのポイント自体あまりにも分かりづらく、ファンブックが販売されてからも川井への評価が変わることがなかったことがその証明ともいえるのである(監督や作者の発言もいわゆる言葉の綾としか思われていなかった)。
しかしながら客観的事実はそのまま描かれているので、色眼鏡さえ外してじっくり読めば、ちゃんと見えてくるものであった。
ちなみに、担当した潘めぐみ氏も川井がここまで言われまくっているところにどこか思うところがあったようで、それについて語ったこともある。
「当時、彼女と向き合う時、受け入れ切れなかった自分を思い出しました。~(中略)~……だけど、タグが生まれてしまったことに対しては、ごめんねと思う、私でした」
川井みきというキャラクターがここまでズタボロに言われているのには、潘めぐみ氏の迫真の演技があったから……というのは考えすぎだろうか(だが、これはそれ程までに潘氏の演技が卓越していた証であり、潘氏に一切非はないということは留意されたし。事実、映画版が公開された当時から、純粋に潘氏の迫真の怪演を高く評価する声もあった)。
もちろん言うまでもないが、あくまでも『川井みき』は架空のキャラクターであり、それらの行動も「演技」で、演じた潘自身は元から何も悪くなく、微塵の非もない。
劇中における川井の言動に思うところがあったり、稼いだヘイトに相応するだけの『制裁』が描写されなかった事態に納得がいかず、その捌け口として川井や演者である潘氏を攻撃して憂さを晴らそうとするのは、本質的に彼女や作中のクズキャラと同レベルもしくはそれ以上の愚行を犯しているに等しく、結局は同じ穴の狢に過ぎない。
そもそも(実際にトラブルでも起こさない限りは)どんなキャラクターを演じても罪はないことを忘れてはいけないのだ。