概要
1930年、六世野村万蔵の長男として生まれる。2024年現在は現役最高齢の狂言師である。
1934年に『靭猿』で初舞台を踏んだ。
1950年に万蔵家の跡取りの名前である『野村万之丞』を襲名し、万蔵家の跡取りとしての道を歩んだ。
1958年に登美子夫人と結婚。2004年2月に登美子夫人が死去するまで連れ添う事となる。
1959年に長男の耕介(五世野村万之丞→追贈八世野村万蔵)、1965年に次男の良介(九世野村万蔵)が誕生する。
1993年に万蔵家の当主名である『野村万蔵』を七世として襲名するが、2年後の1995年には長男の耕介(五世野村万之丞)に家督を譲る。
そして、1997年に人間国宝に認定される。その後、2000年に野村萬に改名する。
なお、長男の耕介(五世野村万之丞)は 2005年1月に満を持して野村万蔵を襲名する予定であったが、ガンの為2004年6月に亡くなり、襲名は叶わなかった。また、萬は長男・耕介の死に関して天の非情を恨むという言葉を残している。
なお、耕介本人も万蔵に万感の思いで千秋楽という志半ばで死なねばならない悔しさが滲む辞世の句を残している。
また、萬は2004年2月に妻を亡くしており、半年の間に妻と子を立て続けに亡くすというつらい経験をした。
なお、万蔵の名前に関しては長男の耕介(五世野村万之丞)の遺児の太一郎がまだ中学生だった事もあり、次男の良介が九世として万蔵を襲名した(八世は耕介に追贈)。
ただ、太一郎が2015年に万蔵家を出奔したため『万之丞』の名前は良介の長男・虎之介が2017年に襲名した。
なお、太一郎は耕介亡き後も叔父の良介(九世万蔵)から跡取りとして厚遇されてた事もあり、太一郎の突然の出奔は狂言界の謎のひとつとして扱われる事もある。
そして、2019年には狂言師としては2人目となる文化勲章受章者となる。
なお、前述のとおり現役狂言師の中で数少ない戦争経験者であり、2020年の新型コロナウイルスにより公演が次々と中止となり、ショックを受けるや若手に対し、能楽堂や面・装束が焼けてないんだから大丈夫と励ましたそうな....
また、24年時点で、芸歴90年を超える大ベテランであり、あの黒柳徹子と対等に話ができる貴重な存在でもある。
家族
父・六世野村万蔵
長男・八世野村万蔵(2004年6月死去)
孫・野村太一郎
次男・九世野村万蔵
孫・六世野村万之丞
孫・野村拳之介
孫・野村真之介