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九世野村万蔵

きゅうせいのむらまんぞう

九世野村万蔵とは狂言師、野村万蔵家九代当主。後述の通り、元々は次男であったため分家していた。
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概要編集

1965年、七世野村万蔵(現在の野村萬)の次男として生まれる。6歳年上の兄の八世野村万蔵と共に幼い頃から狂言の稽古に勤しむ。

1970年に「靱猿」で初舞台を踏んだ。なお、「靱猿」 を演じている際に舞台から転落し、客に抱っこしてもらい、再び舞台に戻った


1990年に、一人前の狂言師になった証である「釣狐」を披く(初めて演じる)。なお、「釣狐」のリハーサルの際に気絶した先述の靱猿の件といい、釣狐の件といいとにかくハプニングが多い役者である


2000年に兄の八世万蔵の意向により、二世野村与十郎を襲名し分家した。その後は分家の立場から兄を支える。次男であるため、本人はサポート側として一生を終えるつもりであったという。そう、兄の早世という悲劇さえ起こらなければ..


2004年2月、母の登美子が胃ガンのため69歳ので死去。しかも、その葬儀から間もなく兄の八世万蔵が病に倒れる。死を覚悟した八世万蔵から野村万蔵家や狂言や兄のライフワークであった「大田楽」の未来についての遺言を預かる


その年の6月10日に八世万蔵は父の萬に先立ち、44歳という若さで亡くなる。その後、与十郎は狂言の活動と並行して、兄のやり残した「現代狂言」や「大田楽」などの仕事を継ぐ事になる

また、兄の八世万蔵の長男の太一郎がまだ14歳であった為、与十郎が当主になることとなる。兄の死去から半年後の2005年1月、九世野村万蔵を襲名し、名実共に野村万蔵家九代当主となる。


ただ、兄の忘れ形見・太一郎が2015年に万蔵家を出奔したため後継者が名乗る『万之丞』の名前は九世万蔵の長男・虎之介が2017年に襲名した


なお、太一郎は八世万蔵亡き後も九世万蔵から跡取りとして厚遇されてた事もあり、太一郎の突然の出奔は狂言界の謎のひとつとして扱われる事もある


55歳を迎える2020年から自身の会である万蔵の会をスタートさせる予定であったが、その直前に九世万蔵が胃ガンに倒れ、中止となる。その後、体調が回復し1年遅れの2021年より万蔵の会をスタートさせた。なお、2024年の万蔵の会で演じた「釣狐」を生涯最期の「釣狐」とした。

別名・表記ゆれ編集

二世 野村与十郎 (分家時代に名乗っていた名前)


関連タグ編集

野村萬(父)、 八世野村万蔵(兄)

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