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茂山七五三

しげやましめ

茂山七五三とは日本の狂言師、人間国宝。後述の通り、次男であるため銀行員と狂言師を兼業していた。

概要編集

1947年、四世茂山千作の次男として京都で誕生。2歳年上の兄に五世茂山千作がいる。


中学3年生だった1962年に母が亡くなり、翌年には継母が茂山家にやってきた。さらにその翌年の1964年には異母弟が誕生し、兄の五世千作とともにつらい日々を過ごす事になる。


高校時代は剣道部に所属し、東京の大学に推薦入学できる事になったが、父の四世千作に兄のサポート役になるべき次男坊が地元を離れるなんてとんでもないと猛反対されたため泣く泣く地元の京都の大学に進学した。


1970年に大学を卒業するものの、次男であるため狂言師の収入だけでは生活出来ず銀行員と狂言師を兼業する事となった。その後は仕事と終わりの深夜に狂言の稽古をし、休日に狂言師として活動する事となった。


1973年に結婚し、1975年に長男の宗彦が、1979年に次男の逸平が誕生する


1988年に40歳を機に銀行員を退職し、狂言師専業となる。理由は2人の息子を立派な狂言師にするために体力があるうちに息子に様々な狂言を教えたいという理由であった。

その後、長男の宗彦と次男の逸平は一人前の狂言師として活躍している。


次男であったため、兄の五世千作と区別されて扱われる事が多かったが苦楽を共にしたため兄弟仲は非常によかった


2019年に兄の五世千作が死去して以降は兄を想い、常々号泣している


2023年には人間国宝に認定された。これにより、 銀行員との兼業や母の死や継母との関係など様々な苦難がようやく報われた形となった。


また、人間国宝認定の記念会見でも兄との思い出話を聞かれ、号泣したという


家族編集

父は四世茂山千作。同母兄は五世茂山千作。長男は茂山宗彦。次男は茂山逸平

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