概要
茂山千之丞とは狂言師の名跡である。元は早世した九世茂山千五郎の長男の連正喬が名乗った名前。当代で三世を数える。
なお、二世は戦後を生計を立てる為に闇屋を営んでいた事から警察のお世話になった事があり、その時に本名と舞台名が同じだと差し障りがあるので空き名跡であった「千之丞」を襲名した。
初世
九世茂山千五郎の長男である連正喬。1872年に流行病の為28歳で死去。なお、九世の長男だった千之丞こと連正喬が早世したため、弟の市蔵が10世千五郎を襲名した。
二世
1923年生まれ。11世茂山千五郎の次男。1926年初舞台。
1946年、先述の通りもろもろの理由で千之丞を襲名。
その後は次男という立場から兄を支えた。
また、美声の持ち主である事でも知られた。
2010年、87歳で死去。
なお、千之丞の名跡は二世の長男のあきらではなく二世の孫である童司が継承した。
なお、童司の三世継承については二世千之丞が自分の死後、千之丞の名跡は童司に継承してほしいと強く願ったためであるという。
三世
二世の孫。1983年生まれ。1986年に初舞台を踏んだ。狂言師には珍しいインターナショナルスクール出身であるため、得意を活かした活動もしている。
また、100年後に古典となる作品を今作るという信条の元に新作狂言を多数書き下ろしている。
2018年に生前の祖父の意向と父のあきらの勧めもあり、父のあきらを飛ばす形で三世千之丞を襲名。