悟りを求めて修行するタイプの信仰は、その修行の中で精神変性を経験することになるが、一人で行をやってしまうと妄想が暴走したり、高慢に陥ったりもする。
そのため弟子の資質と境地をチェックする師の重要性は大きく、師のレベルによっても弟子がどれほど修行を進められるかにも違いが出てくる。
師匠は弟子に対して教えを伝え、内面に口を出す側であるため、師匠の立場はかなり強力、というよりも強烈である。
ここから神仏でもない、いち宗教者を真理(ダルマ)の体現として賛美する発想も生まれる。
当然こうした形での師資相承にはデメリットもあり、教祖的人物に対する妄信を指す「グルイズム」という言葉も生まれている。
伝統宗教でもグルにふさわしい人物は珍しく、見つけることも難しいことが語られている。
オウム真理教の犯罪とテロにより、日本では原語の「グル」と共に、麻原彰晃をまず連想させる言葉になってしまった。
pixivにあるイラストもだいたいアサハラである。