巡洋艦の妙高
ワシントン海軍軍縮条約に基づき建造された10,000トン級重巡洋艦であり、青葉型重巡洋艦の発展型といえる艦型であった。設計の主たる物は平賀譲造船官の手による。
1941年12月8日の太平洋戦争開戦直後はダバオ、ホロ攻略作戦に従事した。
その後は、珊瑚海海戦、ミッドウェイ海戦、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦、ブーゲンビル島沖海戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦等に参加する。
しかし、レイテ沖海戦での損傷修理のために日本へと戻る途中、米潜水艦の夜間雷撃を受け、艦尾を切断。日本には戻れず、シンガポールまで曳航され、そこで終戦を迎えた。
最終的にはイギリス軍によりマラッカ海峡にて海没処分された。