「わたしの名前読みづらい?」
概要
子日とは、DMM.comが展開するゲーム「艦隊これくしょん」に登場する、大日本帝国海軍所属の初春型駆逐艦の2番艦を基にした艦娘である。
条約型駆逐艦として計画された無茶な小型重武装駆逐艦である初春型の2番艦ということで、初春同様、駆逐艦娘の中ではややバストは大きめで、ぴっちりした意匠の服に身を包んでおり、スレンダーな体形があらわになっている。おそらくトップヘビーすぎた初期状態を表現していると思われる。髪形は三つ編み1本でピンク髪。
その他、アーム付の機械を背負っており、頭部には『U』を逆にしたような機械が2つ浮遊している他、両手を覆う形で連装砲・単装砲を装備しているのが特徴。また、手首・足首に包帯が巻かれているのは、2度にわたる大改装が行われたためだろうか。また、スパッツを着用している艦娘でもある。
古風で落ち着いている印象の初春とは対照的に、見た目よりさらに子供っぽい性格の駆逐艦娘となっている。
駆逐艦のくせに潜水艦が苦手という、日本海軍らしいトラウマを持つ駆逐艦娘の1人。
また、名前を読みづらいことを気にしている、のだが……これについては後述。
Pixivでは
『子日だよぉ!』という言葉が印象的なのか、イラストにも台詞で書かれていることがよくある。
また、両手に着けている装備がアレに見えるためか、ヤツのパロディをしているイラストも多い。
実は名前は誤記?
さて、彼女が気にしている読みづらい名前なのだが……実は、そもそも名前の表記が間違っているという疑惑がある。
元ネタである駆逐艦「子の日」の名前の由来は、行事である「子の日の遊び」に由来している。
ネット上では「子日」「子の日」に加え「子ノ日」といった記述も見られ、Google先生に聞いてもど正しいのかはっきりしない……
1994年に発行された新紀元社発行の『連合艦隊艦艇ガイド』には、「子の日」で記載されている。
また、アオシマのウォーターラインシリーズでも同社の正式商品名は「子の日」である。
他の帝国海軍艦艇を扱う有力サイトでは、ほぼ「子の日」になっており、一部「子ノ日」が見られる。
しかし、アオシマのウォーターラインシリーズの販売を手がけるネットショップに「の」を省略した「子日」という表記と、「子ノ日」といった記述が混在している。
どうやらこの辺りに名前表記の混乱原因があるようであり、Wikipediaにおける表記も「の」抜きとなっている。しかし、もともとの駆逐艦の名前の表記は「子の日」であるということをお忘れないよう。
なので、モデルの艦の記事を作るときは「子の日」で。
史実では
彼女のもととなった駆逐艦「子の日」は、1番艦である初春と同日である1933年9月30日に就役している。しかし、初春が転覆寸前に陥るほどのトップヘビー状態が確認された事や、同じくトップヘビー状態だった水雷艇が沈没するといった事態が発生したため、初春と同じく2度の大改装を受けることとなった。
開戦前は、現在のベトナムである仏印(フランス領インドシナ)にて軍事監視団として派遣されたが、開戦後は初春、若葉、初霜とともに第二一駆逐隊を結成して方々で活躍する事となる。ミッドウェー海戦では、北方部隊に所属して、「アッツ島攻略作戦」を支援した。
余談だが、この後アッツ島では「アッツ島の戦い」により駐留していた兵がほぼ全滅してしまい、アリューシャン諸島西部のキスカ島に駐留していた兵が孤立してしまう。そして、このキスカ島から兵を撤退させる「ケ号作戦」こそ、艦これにおいて難関として名高い【3-2】の元ネタであるキスカ島撤退作戦であった。
1942年7月5日、アッツ島湾外を哨戒していた際に、隣の島であるアガッツ島付近にて米潜水艦トライトンに捕捉され、魚雷を受けて船体が折れ、わずか7分で沈没。初春型で最初に戦没した艦船となった。
だが後、駆逐艦電によって、200名以上いた乗員のうち36名は発見、救助された。
1942年7月30日除籍。