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奴隷

どれい

奴隷(どれい)とは、人間でありながら所有の客体としてみなされる者のこと。 人間としての名誉、権利・自由を認められず、他人の所有物として取り扱われ、所有者の全的支配に服し、譲渡・売買の対象とされた。 奴隷を許容する社会制度を特に奴隷制という。
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概要

フランス革命までは『見向きも』されなかった人々、人間でありながら所有物として扱われる存在。英語ではSlaveと呼ぶが、これはかつてスラブ人が奴隷とされていたことに由来する。

人間としての名誉、権利・自由を認められず他人の所有物として取り扱われる人。所有者の全的支配に服し、労働を強制され、譲渡・売買の対象とされた。

奴隷を許容する社会制度を特に奴隷制という。1948年に国連で採択された世界人権宣言では、奴隷制について次のように宣言している。

何人も、奴隷にされ、又は苦役に服することはない。奴隷制度及び奴隷売買は、いかなる形においても禁止する。

社会保障制度の発達していない時代においては、奴隷は当たり前に存在する者であり、洋の東西を問わず、人間がある程度の社会を築いている場所なら、奴隷、あるいはそれに類する者はほぼ例外なくいた。近代になって人権意識の向上や、社会制度の発達により、奴隷制度の廃止の機運が高まり、上述の国連の宣言に繋がることとなる。しかし、現代でも発展途上国では奴隷のような劣悪な環境での労働が当たり前の国は多く、先進国でも裏社会などで過酷な扱いを受ける者は少なくない。

欧米の奴隷制

古代 奴隷無くては文明なし
古代ギリシャバビロニアイスラエル古代エジプトなど

旧約聖書では奴隷の記述があり、ユダヤ人を奴隷化してはいけないが他民族はおKだの、ただ週休はあげましょうね…とかの戒律がある。ユダヤ賢者ダニエルがバビロン捕囚の際にネブカドネザル二世に謁見し、奴隷から侍従にとりたてられた逸話もある。

エンキ
泣くんじゃねぇ!!


そのバビロニアでもハンムラビ法典に「人の奴隷にけがをさせたら賠償せよ」と書かれ、虐待はされなくとも、一般人並みではない扱いではあった。むろん、平民や貴族にけがさせた場合の方が罪は重かった。

ジェフティ(トト)


古代エジプトでも壁画に異国から来たと思しき奴隷階級の姿が描かれており、肉体労働以外には娼婦や踊り子、職人など芸能をマスターしたものもいたらしく、扱いは良い奴隷もいたようである。

奴隷は主に農業、家内工業における職人や雑用役などの役目に従事した。ポリス市民の得た閑暇は公的生活への参加に向けられ、労働は恥辱であることが公然と言明された。

西洋近代国家以前までは『肉体労働』は奴隷・農奴の仕事の風潮があった、『国民』という考え方は奴隷を禁止するがそのかわり、それまで奴隷が行っていた仕事『奴隷仕事=労働』を分かち合うという観念があるらしい

アリババ君(奴隷落ち)


古代ギリシャの人類史の知的エリート(プラトンアリストテレス)も奴隷制度に関して比較的肯定的な立場をとっており、『人間の素質は生まれつき決まっているもので、その労働に携わる人は、その労働に適した身体を持っているものだ。』といった言い方で、奴隷制度に疑問を呈することはなかった。ただこの時代は戦争に負けた捕虜…特に蛮族はボロぞうきんになるまで過労死させた。ギリシャ市民でも捕虜=奴隷が珍しくなかったが、武芸や学問に秀でた人が多かったので、虐待されずに優遇された。そこはエジプトと同じ。

スパルタでは「ヘイロタイ」と呼ばれる奴隷身分があり、これはスパルタ人に征服されたアカイア人である。彼らは家族を持つことこそ許されたものの、代々奴隷身分を引き継いでおり、平時でも戦時でも、常に酷使された。また、訓練と称してスパルタ人は、ヘイロタイの不満が高まるたびに、処刑部隊を編成して定期的に虐殺しており、恐怖によって大勢のヘイロタイを支配した。

ローマ帝国

文明 奴隷の扱いが古代一素晴らしかった国家(誉められないが)

【ヘタリア】トガを纏ったゲルマンさん


古代ローマは当初は市民による小規模自営農が都市経済の中核を占めていたが、ポエニ戦争の勝利以降共和政ローマ世界が急拡大するにともない、奴隷労働者を大量に使役するラティフンディウムが拡大し、奴隷の労働が社会全体を支える構造ができあがった。

従来の都市近郊の小規模自営農は経済的に没落する一方でパトリキ(ローマ貴族)やエクィテス(富裕層)は大土地所有と奴隷の労働により富を蓄積し、それらは没落し都市に流入した無産市民(プロレタリー)にパンとサーカスによって分与された。

農園で働かされる奴隷の待遇は酷いものであり、特に様々な記録の中で鉱山で働く奴隷の悲惨さが描かれている。ローマ帝国は4度にわたって、大規模な奴隷の叛乱を経験している。

奴隷の待遇は様々であり出自が問われる仕事を別にすれば、生産労働ばかりでなくさまざまな仕事に多くの奴隷あるいは元奴隷の被解放自由人が従事していた。彼等は奴隷所有者である主人の判断によっては、労働内容にみあう技能教育をされることがあったと考えられている。

またローマニアでは哲学や詩、歴史学などに熟達した多くのギリシア人奴隷が家庭教師として、他にも医術や算術(会計術)を身に付けた奴隷が医術師や会計役として重宝され高額で売買されたが、これはローマ市民が報酬として金銭を要求する職業を卑賎なものと見做していたからであった。知的労働に携わる奴隷は、相応の高待遇を受けていた。

奴隷はしばしば虐待の対象となり、元首政治時代の富豪(ローマ騎士)Publius Vedius Pollioは怒りにまかせ自分の奴隷を池に投げ魚のエサにしたとの話しがある。時代が下がるとともに奴隷の境遇も改善され、元首政治期の特に2世紀以降になると奴隷虐待の風潮に対していくつかの奴隷保護法が制定された。

元首コンスタンティヌスの奴隷への『寛容』
ローマ元首コンスタンティヌス1世の319年の勅令においては主人は主人権を乱用し故意に奴隷を殺したときは主人を殺人罪に問うべしとした。これらは主に2世紀以降に出されたが、パックス・ロマーナにより戦争や略奪による奴隷の供給量が減少したことが影響している。これによりラティフンディウムの制度は崩壊し、コロナートゥスに移行していった。

幸運に恵まれて奴隷身分から解放奴隷身分になる者もおり、解放奴隷は子供の代にはローマ市民として扱われローマ元首になった者すらいる。(ディオクレティアヌスなど)一方で自由身分を喪失して奴隷となる者もいた。例えば債務奴隷というものがあり債権者は返済不能となった債務者自身を奴隷として売却し貸付金を回収することが認められていた。

ローマには捨て子の習慣があり、拾われた捨て子は多くは奴隷にされた。貴族の子供が捨てられて奴隷となる一方で解放奴隷の子供が立派なローマ市民となるような逆転も見られた訳である。

アジアの奴隷制

青衣


古代中国ではが奴隷制の国として名高く、蛮族を征伐しては奴隷化し、兵隊生贄など危険な役目を担わされていた。そのため、太公望武王を奉じて建設したが攻めてきた時も奴隷兵はやる気を失い、帝王であった紂王は敗れて自決した。異民族の奴隷を多く抱えて栄えた中国も、近代では皮肉な事に西洋列強や一部の貴族階級、党幹部に苦力としてこき使われる国民を多く出した。

バラモン


古代インドではインダス文明アーリア人に征服されたドラヴィダ人がシュードラアウトカーストなど下層に落とされ、不浄な仕事を受け持たされた。ヴェーダを盗み聞きした奴隷に重罰を下せなど過激な法律もあったが、それは身分にこだわらない悟りを求めるブッダによって救いが出来る。ただ、奴隷制が消えても2000年以上継続してきたカーストの奴隷層という観念は未だにはびこっている。

【指絵】禿(かむろ)
子消し


  • コケシや市松人形は粗末に扱わない方がよい。

日本ではヒミコが生口と言う奴隷階級に属する技術者や芸人をに送った記述がある(大国である魏への贈り物に、下手な人材など送れないため、これらの人々は賤民では無く、教育を受けた留学生のような者たちだったとの説もある)。賤民と言う考えがあり、かつ豪族に付随する部民と言う隷属システムはあったが、他国ほど古代日本は厳しくなかった。だが、山椒大夫安寿厨子王みたいな人身売買の悲劇が、中世や戦国時代に蔓延、もしくは近代でもひっそり行われていた。市松人形こけしなどがさらわれた子供を弔うための道具ともいわれる。

日本の歴史上で唯一はっきりと「奴隷」と断言される人物は、日本書紀に記されている当時の福岡県八女を統治していた大伴氏農奴である大伴部博麻(おおともべのはかま)であり、彼は663年の『白村江の戦い』で新羅(朝鮮半島南東部にあった国家)の連合軍に捕らえられ、長安捕虜として連れて行かれてしまう。
連れて行かれた先で、敵側に「日本を攻めるなら今だ」という気運が高まっていることを知った博麻は、祖国にそれを伝えるために自分自身を奴隷として唐人に売り、それで得たお金で捕まっていた高官4人を日本に返し、そのおかげで水城や大野城などの防衛ラインの構築が進められ、連合軍は日本侵攻を諦めたとされている。
彼のこの行動に天皇は感銘を受け、彼の帰国後に彼を称える書状を送り、それが日本における「愛国」の語源となったという。

戦国時代になると、これまでの社会制度や統治機構が崩壊し、人々は自らの身を、自分たちで守る必要に迫られた。また、戦が恒常的に起こるようになったため、これに参加、あるいは巻き込まれて敵軍に捕まり、売り飛ばされる例も多かった。こうして奴隷となった日本人たちは、日本国内のみならず、当時、日本に来ていたヨーロッパ宣教師や商人たちも取り扱っており、世界中に輸出された。一方で、倭寇が捕らえた異国人や、朝鮮出兵によって日本軍に捕らえられた人が、日本国内に連れ帰られることもあった。

中世ヨーロッパ

中世西北ヨーロッパでは羊毛、皮革、毛皮、蜜蝋程度しか、オリエントローマニア(東方)に対して輸出できるものがなかったため何世紀にもわたり奴隷は西北ヨーロッパから東ローマ帝国アジア方面への主要な輸出商品の一つであった。

西洋の奴隷供給先

特に年少のうちに去勢されたイタリア半島内の奴隷はイベリア東ローマイスラム世界で重宝された
  • フィレンツェ
トスカーナ地方の富の蓄積は奴隷売買によるところが大きかった。

また、北アフリカやアンダルス・北イタリア・諸騎士団の海賊は、しばしば南欧の住民や地中海沿岸の敵対する勢力の住民を襲って拉致し、奴隷として売っていた。

これはヨーロッパと隣接するイスラム社会においては奴隷を必要とする社会でありながら、 自由民を奴隷階級に落す事が禁じられ戦争捕虜や売買によって外部から供給を受けるしか方法が無かったからである。

その一方でヨーロッパの内部においては、上述の通り古代ローマ末期においてラティフンディウムの崩壊により奴隷の使用は少なくなる一方、コロナートゥスの発展により農奴と呼ばれる職業・居住地の自由を持たない奴隷的な農民が数多く存在した。

近世・近代ヨーロッパ アメリカ合衆国

16世紀から19世紀にかけて、アフリカ諸地域から輸出された黒人奴隷(奴隷貿易)は、主に南北アメリカ大陸で、プランテーション農業などの経済活動に、無償で従事させられた。奴隷貿易に参加した国はポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランスの5ヶ国である。

奴隷商人はヨーロッパから安物のビー玉、火器(銃器)、木綿製品を積載してアフリカ・ギニア湾岸に到り、黒人奴隷と交換し、奴隷をブラジルや西インド諸島で売り飛ばした。次にその金で土地の砂糖、綿花、タバコ、コーヒーなどの亜熱帯農産物を積み、ヨーロッパに帰ってくるのである。奴隷貿易で最盛期を迎えるのは18世紀である。

推計では16世紀は90万人、17世紀は300万人、18世紀は700万人、19世紀は約400万人が奴隷として売買されたといわれている。概算1500万人と言われているが多数の奴隷船の一次記録の調査により、大西洋横断中の死亡率は13%程度であると想定され近年では最大でも1100万人程度と推定されている。

AFRICA01


アフリカにおいてヨーロッパの奴隷貿易業者の手に渡るまでの期間の死者、すなわち現地アフリカの勢力が奴隷狩り遠征その他の手段によってかき集めてから、ヨーロッパの業者に売られるまでの期間にどれだけの死者が出ていたかは調べられていない。

アメリカ大陸において民主主義の進展により市民が自由を得てかつ君主もいなくなる一方で、
人種差別と相まって奴隷の境遇が悲惨なものとなり、また奴隷は子孫に至るまで奴隷身分として固定されてしまい自由民と奴隷の格差が非常に顕著になったのである。現代において「奴隷」という言葉から連想されるのは、主にこの時代のものである。

アメリカ大陸では日本人や中国人、インディアン(ネイティブアメリカン)などの黄色人種系、あるいは白人の人々が奴隷として売買されていたが彼らの奴隷として境遇は契約書に記された期間限定のものであり(ただし何だかの理由をつけて期間延長がされる事があった)黒人奴隷ほど厳しいものではなかった。

アメリカ合衆国では南北戦争の時代にリンカーン大統領(→奴隷解放宣言)によって、奴隷制度が廃止されたが大半の黒人は1971年まで、「選挙権はあるが投票権がない」状態だったなど、政治的な権利の制限は長く続いた。19世紀における奴隷解放運動の活動家にはフレデリック・ダグラスなどがいた。
 
中世のようにヨーロッパからイスラム圏に奴隷が輸出されるような状況はヨーロッパの発展とともに減少、消滅していった。しかし北アフリカの海賊によってヨーロッパ人が拉致され奴隷として売られる状況は、19世紀初頭にヨーロッパにより北アフリカが植民地化されるまで継続している。

現代における労働と奴隷

奴隷制度が法律的に禁止されたいまでも、借金などのために自由を奪われ奴隷的な扱いを受ける労働者は世界各地で散見される。

発展途上国では麻薬中毒の親から売春婦や家政婦として売られる娘、移民ブローカーの甘言に乗って海外に連れていかれ強制労働に従事させられる労働者など、奴隷同然の境遇に落とされる人々は数多く存在している。先進国とされる日本でも、貧困やホストなどにはまったために借金を抱え風俗産業などに売られる女性が数多く存在しており、「人身売買国家」としてアメリカ合衆国などから問題視されている。

そもそも資本主義社会においては、マルクスらが問題視したように、賃金を稼ぐため、その人が本来やりたいわけではない労働をする(労働の商品化、疎外された労働)という事態が常態化している。疎外された労働(人間存在を豊かにするのではなく、人間を支配するような労働)を外部から強いるということは、奴隷制度を問題視したのと同じ次元で問題視さるべきである。

最も、マルクスの科学的社会主義の下、「平等」を目指したソビエト連邦を初めとする社会主義国家においても、大量の政治犯や思想犯を中心とした強制労働を行わせ、富は共産党の上層部に集中して配分、そして国民はその事実を知らされないまま権利を著しく阻害され貧しい配給生活を強いられた。
平等をうたったマルクス「科学的社会主義」が国民全体の奴隷化を招いたのである。

社会主義・資本主義といった経済主義では簡単には解決できない、「差別」というものが根付いた問題ともいえる。

創作における扱い

ファンタジー世界ではたびたび奴隷が登場することもある。

特に、性的な意味で奴隷化された女性にスポットが当たることが多い(R-18なのでここでは詳述できない)。

関連イラスト

奴隷雪歩
聡明な女奴隷


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 人権
人身売買 奴隷市場

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