生立ち
東京都で生まれて埼玉県で育つ。父はフランス人のハーフなので、亜久里はクォーターである。
選手として
最初はトヨタのドライバーとしてデビューするが、途中から日産へ移籍。
全日本F2/F3000、JTC、全日本スポーツプロトタイプ、ル・マン24時間など多岐に渡って参戦し、全日本F3000とJTC(Div.3)でチャンピオンを獲得している。
そして中嶋悟に次ぐ二人目の日本人フルタイムF1ドライバーとなる。1990年F1日本グランプリで3位入賞を果たし、日本人初の表彰台に立った。
1995年のF1引退後はドライバーとしては日産車をドライブし、ル・マンでも日本人トリオとして初の総合3位表彰台を獲得。
レーシングドライバー引退後は、若手をF1に送るべくARTAプロジェクト(AUTOBACS Racing Team AGURI)を立ち上げた。
実業家として
選手を引退し、後継者育成の為にホンダの支援を受けながら『スーパーアグリ』を立ち上げる。インディカーで経験を積んだ後、F1へ本格参戦。
資金力はなかったが士気と人気は高く、佐藤琢磨がディフェンディングチャンピオンのフェルナンド・アロンソをオーバーテイクして6位入賞した時は優勝したかのようにファンは沸き立った。しかし諸般の事情で、わずか3年で無念の撤退となった。
その後時を越えて2014年、『電気自動車のF1』ことフォーミュラEで「アムリン・アグリ」として活動を復活させた。しかし南米での念願のチーム初優勝はTV観戦(しかも優勝の瞬間は寝ていた)であったということから名前だけ貸してる?という説が浮上し、事実それから間もなく最終的にはチーム譲渡に至り、再びの消滅となった。
日本ではSUPERGTのタイトルスポンサーであるオートバックスのカラーリングを纏ったARTAというチームを長らく率いており、土屋圭市とも組んで500・300クラスの両方に参戦。両クラスともチャンピオンの実績を持つ。こちらではホンダとの縁が強い。
またARTAを支援するオートバックスの子会社との提携により、ガライヤというオリジナルのスポーツカー(未発売)も開発して参戦したこともある。
余談
- 「電気系統」「次、ないんだよ」という口癖ネタが多い。
- 2017年8月18日にテレビ東京の秋元玲奈アナが第一子の妊娠を発表したが、当初は一般の会社員とされていた結婚相手が亜久里氏の長男であることが同日に判明。同年11月1日に無事生まれ、亜久里氏にとっても初孫となった。
関連タグ
鈴木姓