概要
正式名称は朱色5号。
1970年代、日本国有鉄道の財政は徐々に赤信号に。そこで今までクリーム4号と朱色4号だった気動車を朱色5号一色に塗り替え、塗装の工程を簡略化させる方針を採用した。
最初に導入されたのは当時非電化だった相模線で1975年のこと。首都圏の線区で導入されたことから「首都圏色」とよばれるようになった。
当時は労使関係が悪化していたこともあり、十分な洗浄がされず褪色したままに運用された車両は鉄道ファンからは「焼きタラコ」とも呼ばれた。後年では塗料の質が変わったのかそこまでの劣化した車は見られなくなったものの、地方独自色の導入からJR初頭にはほぼいったん姿を消した。
塗装前→塗装後
JR移行後は一時姿を消していたが近年は保守費軽減やリバイバルで再登場。登場から40年が過ぎ昭和レトロということもあるのだろうか。
- JR北海道・JR東日本・JR四国。リバイバル企画としてキハ40系の一部を対象に首都圏色に塗り替えられた。
- 関東鉄道でも元国鉄キハ30のキハ100形が2007年に関東鉄道標準色から首都圏色に、いすみ鉄道でも2014年にキハ52が一般色から首都圏色に塗り替えられている。
- JR東日本が小海線全線開通80周年記念企画として、キハ110系を期間限定で首都圏色に塗り替えていた。
JR西日本の単色化
2009年、JR西日本は経費削減のためローカル線の国鉄型車両を単色化することを発表した。
これにより悪名名高い末期色が登場したのだが、気動車はなんと朱色に。しかも国鉄型車両ではないはずのキハ120形にまで魔の手が伸びた。
なお、後藤総合車両所所属車はJR発足時から首都圏色を保ち続けていた(鬼太郎列車を除く)。JR以降に同所に所属となったキハ37やキハ33も首都圏色に塗り替えられていた。