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国鉄→JR東日本 189系特急形電車

国鉄が設計・製造した特急形電車1975年特急あさま」用に新製・投入された。183系をベースとして設計され、信越本線横川駅軽井沢駅間の碓氷峠区間においてEF63電気機関車と協調運転を行うための装備が加えられている。


…といいながら、本系列と外観がほぼ同一の183系1000番台(1974年新製)は設計実態としては「本系列から碓氷峠越え用装備を外したもの」である。これは本系列の設計が進められていた最中に、上越線の特急「とき」に運用されていた181系の老朽化から来る冬季の運用の問題が深刻化していたことから急遽置き換え用の車両として183系1000番台が投入されたという経緯によるものである。安全上の理由から181系では8両に制限されていた編成両数も、EF63形との協調運転により12両まで増やすことが可能となった。なお余談ではあるが、国鉄が碓氷峠区間での協調運転用に設計した電車(169系・189系・489系)はいずれも末尾が9となっている。また、横軽間での急ブレーキ時の座屈対策のため当該区間では空気ばねから空気を抜いて運転するので、クハにはコンプレッサーが増設され床下配置が変更されている。(これは協調運転をしない165系・183系・185系・および12系・14系客車も同様)


1990年から92年にかけて、競合相手の高速バスとの対抗策として、グレードアップ改造が一部編成に施され、対象の編成は長野寄りの前3両を除いて大窓化され、座席の位置が上げられ、塗装もあさま色と呼ばれるものに変更。座席も変更された。

また、改造を受けなかった編成も座席と塗装が変更された。


GU改造車は時刻表に「デラックス車両で運転」と記載されたことから運用限定となったが、1997年に「あさま」編成が松本運転所に転出し「あずさ」に転用されて以降は、限定運用が解除され一般車と共通運用された。また、一部が一般車と混結された。


1997年長野新幹線北陸新幹線)が開業したことに伴い長野直江津間の「妙高」のほか一部が長野から松本に転属、中央東線の特急「あずさ」およびかいじとして活躍を続けた。

後継となるE257系が登場後は2002年までに定期運用から撤退、一部が廃車となり、それ以外は大宮、田町に転属した。

また、幕張車両センターにも一部転入し「さざなみ」などに使用されたが、こちらは2005年までに撤退している。


なお、183系とは異なり高崎車両センターには配置されなかったものの「彩野」、および「日光」「きぬがわ」用485系予備編成の編成が小山車両センターに配置されており、2006年に大宮に転属、2011年に廃車となっている。


田町車両センター大宮総合車両センターに転属した編成は、関東エリアで「中央ライナー」や日光方面特急・快速、夜行列車「ムーンライトながら」、(塩尻駅長野駅間の)「おはようライナー」、その他臨時列車などの波動輸送等で活躍を続けるも置き換えが進み、2013年には両車両センターからすべて撤退。


横軽廃止後は、183系との混結も可能であり、波動用車両を中心に混結編成も数多く見られた。その種類も豊富で、横軽廃止前にはなかった協調運転側の先頭車が両端についた編成、片方だけが189系先頭車の編成、両先頭車が189系、中間車が183系、またはその逆の編成など様々であった。


1975年の新造配置以来長野総合車両センターに残っていた車両は、2015年3月までは183系と共に4編成が存在し、「妙高」のほか、土曜・休日運休の豊能発の普通列車数本、しなの鉄道小諸から直通運転する快速「しなのサンライズ」、および臨時列車などに充当されていたが、前者2本は北陸新幹線金沢延伸開業によりしなの鉄道北しなの線へ移管されたことにより廃止、後者は車両変更となり運用が終了。全車原型のN102編成のみが「おはようライナー」運用のために残された以外は廃車となった。


豊田車両センターには2002年からM50編成が在籍、13年に田町のH81編成の両先頭車2両とH101編成の中間車4両を組み合わせたM51編成(両編成のそれ以外の車両は廃車)、Hから中間車4両を抜き取ったM52編成が転入した。豊田の編成は長野同様に臨時列車のほか、休日に新宿から河口湖まで運用する富士急行線乗り入れの快速「ホリデー快速富士山」、「快速富士」などに使用された。これらも2015年時点で長野の1本と合わせてで合わせて6両編成4本が残るのみとなっていた。


2018年には、1月にM50編成、4月にM51編成とM52編成が長野まで廃車回送を兼ねたラストランで自走し、長野で解体され、豊田および関東からはすべて撤退した。


最後まで活躍していた「おはようライナー」や臨時列車用の長野総合車両センターのN102編成は2019年3月にラストランを迎えた後6月に廃車除籍となり、これをもって189系は形式消滅・廃系列となった。活躍年数は44年で、年数自体は183系より1年長かった。なお、車籍抹消で形式消滅になったのは6月であったため、ギリギリで令和まで存在していたこととなった。


横川の基地跡に建てられた碓氷峠鉄道文化むらにて、クハ189-506、クハ189-5

モハ189-5の計3両(いずれも原型)、大宮の鉄道博物館にはモハ189-31、モハ188-31(GU改造大窓)の2両と、合計5両が保存されている。また、上記のN102編成の両先頭車2両が2023年現在も長野総合車両センターにて解体されずに留置されており、この2両の今後の処遇は不明である。


現役最後の国鉄特急色車両

2014年の時点で、上記の豊田に所属していた編成は、全車原型窓のM50編成、東京側先頭車のみがGU改造により大窓となったM51編成とM52編成であり、一方の長野には、N102編成以外では183系先頭車と189系の中間車で構成されていたN101編成、両先頭車が485系からの改造であったN103編成が所属していた。

このうち、M50編成はあずさ色、N102編成、N103編成はあさま色で、それ以外は国鉄特急色だったが、M52編成は2014年11月にグレードアップあずさ色(国鉄時代にまとったことはない)に変更された。

2015年にN101編成、N103編成がそれぞれ廃車となり(これにより183系は形式消滅)、改造編入者が全滅。これにより189系は残る4編成すべてが違う塗装となる。


さらに翌2016年には、仙台に所属していた原型の485系が国鉄特急色のまま引退。485系自体はジョイフルトレインが2022年に形式消滅するまで残存したが、原型(電気釜)かつ国鉄特急色であったのはこの編成のみであった。

この485系の引退により豊田の189系M51編成が、現役で残る最後の国鉄特急色となった

そして2018年、M51編成は引退。これにより、151系以来60年近く続いた国鉄特急色を纏った編成はすべて消滅し、2022年に381系で復活するまでの間一度は途絶えることとなった

189系は、ファンでなくても存在なら日本人のほとんどが知っているほどの認知度を持った有名かつ歴史的な塗装を纏った最後の形式となった

なお、N102編成は上記の通り2019年に引退したが、最後まであさま色のままであった。


JR西日本 キハ189系特急形気動車

キハ189系を参照。


関連タグ

181系 183系 185系 あさま 妙高

特急形電車 国鉄の特急形電車 日本国有鉄道 JR東日本

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