ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

高山善廣の編集履歴

2017-09-04 16:46:13 バージョン

高山善廣

たかやまよしひろ

高山善廣は、日本で最も背の高い(196cm)プロレスラーである。

概要

東京都墨田区出身、湘南在住の巨漢レスラー

東海大学付属相模高等学校東海大学文学部文明学科卒業。

2016年現在日本人でトップロープを跨いでリングインできる唯一プロレスラーと思われる。


履歴

高校時代はラグビー大学時代はライフセービングに励む一方、湘南でライフガードアルバイトをしていた。(元ライフセーバーの経歴から関連するテレビ番組イベントに呼ばれることもある。)


20歳の時に休学して第1次UWF(興行活動停止後の新日本プロレスとの業務提携時代)の入団テストを受け合格するも怪我の再発もあって退団。

大学卒業後就職するもプロレスラーの夢を捨てられず悩んでいたところ、脱走後バイト先で再会し交流のあったUWFの先輩である宮戸優光に声を掛けられ旗揚げ間も無いUWFインターナショナルに再入門。1992年6月金原弘光戦でデビュー

12月のUインター解散後、関係者が立ち上げた団体キングダムに移籍する。

1997年3月フリーランスとして全日本プロレスに参戦。

1999年5月、後追いで参戦していた先輩・垣原賢人と共に、正式所属選手となる。この前後に他の選手と共にチームノーフィアー」を立ち上げ、世界タッグ王座アジアタッグ王座の二つを所有した初のチームとなった。

2000年三沢光晴らと共に全日本プロレスを脱退し、プロレスリング・ノア旗揚げに参加するも2001年PRIDE参戦を機に再びフリーランスとなる。

以後、ノアを中心に、新日本プロレスやその他の様々な団体、PRIDEなど総合格闘技にも参戦。


ノアの第4代GHCヘビー級王座、全日の第39代三冠ヘビー級王座、新日の第32代IWGPヘビー級王座及び第20代NWFヘビー級王座など国内メジャー団体のヘビー級王座を獲得した経験もある。


その一方で物心ついた時にはすでに喘息を患い、プロレスラーになってからも再発。

その後は吸入薬により症状をコントロールしている。

2004年には脳梗塞で試合後に倒れ、手術もうけている。


2017年5月4日の試合中に頭から落ちて動けなくなり、病院に救急搬送。5月8日にに手術を受けた。9月4日、病名が頸髄完全損傷であること、肩から下の感覚が戻らず、また回復の見込みもないことも発表された。


芸能活動

プロレスラーの一方、役者としても活動しており、プロレスや総合格闘技の解説も務めることもある。


主な出演作

ドラマ

NHK大河ドラマ


OUR HOUSE・・・赤尾拓真


アニメ


映画


その他


得意技


関連タグ

プロレス

ゴールデンカップス


外部リンク

オフィシャルブログ

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました