生年 1947年10月26日~
概要
フルネームはヒラリー・ローダム・クリントン。
元アメリカ合衆国国務長官。元ファーストレディ。所属は民主党。
夫は第42代アメリカ合衆国大統領のビル・クリントン。
イリノイ州シカゴ生まれ。弁護士出身で、学生時代から選挙活動の手伝いなどで政治の世界に関わってきていた。
1993年の夫の大統領就任によりファーストレディとなり、同時に、夫である大統領の人事により社会保険制度改革の委員会を取り仕切る委員長に就任した。なお、ファーストレディの国政参加は前例が無く、批判も起きた。そんな異例な委員長職では、国民皆保険制度の導入(通称「クリントン医療保険計画」)を提案したが、自由診療が基本であるアメリカでは支持が得られず、方々からの反対により頓挫した。
2000年に前任者の引退を受けて行われた、ニューヨーク州選出の上院議員選挙に夫の人気を見込まれて担ぎ出される形で出馬し見事当選を果たした。
2008年には同国初の女性大統領を目指してアメリカ大統領選に立候補し、バラク・オバマらと民主党候補の座を巡って予備選挙となった。予備選挙戦では、序盤こそ夫や自身の持つ知名度と人気により優勢であったが次第にオバマに追い上げられ、終盤では追い上げるオバマに対して予備選で暗殺されたロバート・ケネディ元司法長官を引き合いに出して暗殺される事を期待するような発言をして支持を失い、敗北した。予備選敗北後はオバマ支持を表明し、彼女の大統領選は終わりを告げた。
オバマが大統領に就任すると国務長官に就任し、安定的に職務をこなし人気も得ていたが、一期での退任を表明し、2013年2月に退官した。退任表明の際、2012年の大統領選に出馬しオバマと再び争うのではないかと噂されたが、結局は出馬しなかった。しかし、2013年の退官時に2016年の大統領選出馬について聞かれた際は含みを持たせた返答をしており、大統領の座を諦めた訳では無いようである。
政治思想は基本的に左寄りなリベラルであったが、上院議員や国務長官などの国政に深く関わるようになると、多数派である保守系層の取り込みを意識してか、銃規制の反対やイラク戦争への賛同など右寄りな言動も増えるようになった。だが、このようなどっちつかずの姿勢から、新たな層の開拓と共にそれまでの支持者の一部を失う事態にもなっている。