砲弾
砲弾(ほうだん、shell,cannonball)は、大砲に使用される弾丸のこと。
複数の種類が存在し、目標・目的によって使い分けられる。
陸上自衛隊の定義では「口径20mm以上の弾丸」のことで、それ未満のものを小火器弾薬とする。
日本語の「砲弾」の場合は大砲用の弾丸を広く含めるが、英語の"shell"は、本来は炸薬が詰まった種類のもののみを指し、炸薬が詰まっていない弾丸については"shot"と呼び分けていた。
現在では炸薬の入っていない徹甲弾のようなものも、"shell"と呼んでいる。
砲弾の種類によってはライフリングにより回転を与えることで威力が低下する事から滑腔砲が用いられている。
なお、1868年のサンクトペテルブルク宣言は、小口径の弾丸には炸薬を詰めることを制限しており、「量目400g以下」かつ「爆発性または燃焼性の物質を充てたる発射物」の使用を締約国間のみの戦争では禁止している。
分類
標的に命中した際に弾頭が起爆して破壊をもたらす化学エネルギー弾と、発射時に得た砲弾自身の運動エネルギー(質量、速度)により破壊する運動エネルギー弾とに大別される。
後者は同じ砲弾でも発射速度および飛距離により威力が大きく左右される。
化学エネルギー弾
- 榴弾 (HE)
- 弾の内部に火薬が詰められた砲弾。
- 粘着榴弾 (HESH)
- 衝撃波が装甲を伝わり、装甲内側を破壊するホプキンソン効果を利用した榴弾。
- 対戦車榴弾 / 成形炸薬弾 (HEAT)
- モンロー/ノイマン効果を利用して液体金属の超高速噴流(メタルジェット)で装甲を侵徹する榴弾。
- 多目的対戦車榴弾 (HEAT-MP)
- HEATの爆薬のエネルギーの7割以上が周囲に散ってしまう事から、このエネルギーを利用して周囲に破片などを散らす効果も与えた榴弾。
- 自己鍛造弾(EFP)
- 爆薬レンズにより爆轟波が集中され、金属製のライナーから爆発成形侵徹体が形成される成形炸薬弾。
運動エネルギー弾
- 徹甲弾 (AP)
- 徹甲榴弾 (APHE)
- 被帽徹甲榴弾 (APCHE)
- 仮帽付徹甲弾 (APBC)
- 仮帽付被帽徹甲榴弾 (APCBCHE)
- 剛性核徹甲弾 (APCR)
- 徹甲焼夷弾 (API)
- 徹甲弾に焼夷弾の効果を持たせたもの。
- 高速徹甲弾 (HVAP)
- 装弾筒付徹甲弾 (APDS/APDS-SS)
- 脱落する装弾筒を付ける事で直径の小さい徹甲弾に運動エネルギーが集中するようになっている徹甲弾
- 装弾筒付翼安定徹甲弾 (APFSDS/APDS-FS)
- APDSに安定翼をつけたもの。侵徹原理そのものが既存の徹甲弾とは異なる。
その他
- 焼夷弾 (Incendiary)
- 焼夷剤を封入した砲弾。
- 曳光弾 (Tracer)
- 発光体を内蔵して弾道を示す砲弾。
- 核砲弾
- 核兵器を搭載した砲弾。
- 照明弾 (Illumination)
- 発煙弾 (Smoke)
- 信号弾 - 彩光弾などがある。
- 榴霰弾 (Shrapnel)
- キャニスター弾 (Canister)
- 筒状のキャニスター内に大量の散弾を封入した対人砲弾。
- クラスター砲弾
- 複数の子弾を内蔵した榴弾。クラスター爆弾とは異なる。
- 複合弾 (HEIAP)
- 徹甲炸裂焼夷弾とも呼ばれ、徹甲焼夷弾に榴弾の機能を加えたもの。
- フレシェット弾 (flechette)
- 空中炸裂することで広範囲に大量の矢を散らす対人用砲弾。調整の面倒さや効果の薄さから廃れつつある。
歴史
初期の砲弾は、運動エネルギー弾が中心であった。
その理由は、当時使われた黒色火薬は炸薬に用いるには安定性が低く、信頼性のある信管も実用化されていなかったからである。
比較的薄肉・中-長砲身の砲で使える砲弾は、無垢の実体弾(円弾、砲丸)・ぶどう弾・散弾・焼玉などに限られていた。
炸裂する砲弾が初めて文献に現れるのは、中国の明朝(1368年 - 1644年)初期の『火龍經』という軍事マニュアルである。焦玉(14世紀 - 15世紀初め)と劉基(1311年 - 1375年)が書いたもので、焦玉が後に追加した序文は1412年のものである。その本にあるように、火薬を詰めた中空の砲弾は鋳鉄製だった。
ヨーロッパで炸裂する砲弾が一般化するのは16世紀中ごろのことである。
石や鋳鉄でできた中空の砲弾に火薬を詰めたもので、時限信管の役目を果たすゆっくり燃える部分と爆轟する部分があり、臼砲を使って発射した。
発射時の瞬間的な火が信管に燃え移り、一定時間後に内部の火薬が爆轟する仕組みだった。
実際には信管に火がつかないことがあり、炸裂までの時間もうまく調整できないことが多かった。
その後、砲弾にはゆっくり燃える火薬を詰めた鋳鉄または銅製のプラグが装備された。
砲弾の発射時に信管に点火する可能性はあるが、手で信管に点火してから発射する方が信頼性が高かった。その場合、砲手が信管に点火してから射線から避ける時間を短くするためにマズルローダー式の砲身が十分短くなければならなかった。砲身が短いために砲口初速が小さくなり、弾道を高くする必要があった。
このような砲として、迫撃砲や榴弾砲があった。
1823年、フランスの将校であるアンリ=ジョセフ・ペクサン(en:Henri-Joseph Paixhans)が、低い弾道のカノン砲(ペクサン砲)で発射できる炸裂する砲弾を発明した。
1840年代以降、各国の海軍がこの砲を採用し、そのために被弾時に燃えやすい木造軍艦の時代が終わり、造船における鉄製船体への移行が起きた。
1871年までは、鋳鉄製の球形の弾丸が通常弾として使われていた。そのころには、不発弾を防ぐために、着発信管がきちんと目標に向くよう、砲弾に装弾筒 (サボ) と呼ばれる木製の円盤を銅のリベットで取り付けて装填するようになった。装弾筒はまた、砲弾が真っ直ぐ発射されるのを補助する役目もあるとされていた。ただし、臼砲の砲弾には装弾筒は使われなかった。
19世紀後半、ライフル砲が実用化されると、球形ではなくて椎の実型の砲弾(長弾)が使われるようになった。
ライフリング自体は15世紀に考案されていた技術であるが、大砲への実用はこの頃であった。
ライフリングとうまく噛み合わさるような砲弾の構造が研究され、鉛や銅などの柔らかな金属でできた覆帯を巻いてライフリングが食い込むようにする方式(鉛套弾)や、筍翼(スタッド)を表面にとりつけて溝にはめ込む方式が実用化された。
19世紀末まで砲弾には鋳鉄が使われていた。鋼はまず徹甲弾に使われ、その後、高速な砲で使われるようになった。鋳鉄では高速砲の発射時の衝撃に耐えられないためである。
この間に特殊な砲弾も開発された。照明弾(星弾)は17世紀には実用化されていた。イギリス軍は、1866年に、パラシュート付きの照明弾を10インチ砲、8インチ砲、5.5インチ砲用に導入した。この10インチ砲用の照明弾は、実に1920年まで公式には制式装備とされていた。
第一次世界大戦時、榴散弾や榴弾が歩兵に甚大な被害を与えた。戦死者の70%はそれらの砲弾によるものである。このため、鋼鉄製のヘルメットが標準装備になっていった。
1917年には、毒ガスを詰めた砲弾が使われ始めた。
このころには砲弾の信頼性はまだ低く、砲弾が炸裂しなかったせいで戦況に影響を与えたこともある。不発弾が大きな影響を与えた戦例としては、1916年のソンムの戦いを挙げることができる。