要項
エーリヒ・ヨハン・アルベルト・レーダー。(1876年4月24日~1960年11月6日)
ドイツの軍人。海軍元帥。
経歴
1876年4月24日、ハンブルクはヴァンズべックに誕生。
1894年、海軍兵学校入校。
第一次世界大戦中はドイツ大海艦隊偵察艦隊参謀長、軽巡洋艦ケルン艦長を務め、戦後は海軍中央司令部本部長、戦史編纂課長、教育部監察官、北海海軍軽艦隊司令官、バルト海方面海軍司令官などを経て、1928年10月、海軍大将に昇進し、海軍総司令官となる。
1936年4月、上級大将に昇進。
1938年9月、ドイツ海軍の大拡張計画であるZ計画始動。
1939年4月1日、元帥に昇進。
9月1日、第二次世界大戦勃発。Z計画は破棄され、水上艦隊からUボートに力点を置いた現実的な建造方針に移行。
1942年12月31日、バレンツ沖海戦でJW51B船団を攻撃した巡洋艦部隊司令長官オスカー・クメッツ中将率いる艦隊が優勢な状況にも関わらず敗退。
1943年1月26日、ヒトラー総統、ドイツ海軍の大型艦解役を命令。
1943年1月30日、ヒトラーの大型艦解役命令に対して海軍総司令官を辞任。
海軍総監(名誉職)に就任。
1945年11月20日より始まったニュルンベルク裁判においてノルウェー侵略などの罪状により終身刑となる。
1955年9月、収監されていたシュパンダウ刑務所より釈放。
1960年11月6日、死去。
逸話
ナチス・ドイツ政権下で党から海軍に送られてきた人物を解任するなど海軍と党の関係に距離を持ち、戦争では堅実な作戦を採る一方、Z計画に表れたように戦艦を重視し、空母・重巡洋艦のような新たな艦種にはどちらかといえば冷淡で、潜水艦にも戦艦ほどの期待は抱かず、特殊潜行艇や特殊部隊のようなジャンルは取り合いもしないような良くも悪くも保守的な人物であったと言われる。
空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング国家元帥とは犬猿の仲で知られる。戦争初期に駆逐艦二隻が空軍の誤爆で失われた時は勿論、英空軍の度重なる空襲でブレストのドイツ艦隊が損傷し、その損失を恐れたヒトラーの命で「ツェルベルス作戦」での英仏海峡突破という一見華々しいドイツ本国への艦隊の事実上の撤退作戦を演じなければかった事で、空軍がブレストの艦隊を守り切れていれば総統の不安を招かず艦隊は出撃しないまでも英国への牽制となりえたとして批判している。
また権威欲旺盛なゲーリングにより艦隊の水上機なども空軍の管轄とされるようになり、更に戦艦ティルピッツに象徴されるように「ツェルベルス作戦」以外では空軍の充分な支援を海軍は受けていない状態だった。
対英三割の兵力で開戦を迎えた時に、圧倒的に不利な状況に全水上艦艇を投入しても「名誉ある死を遂げる事が出来ると証明するだけだ」と会議で述べたと言われる。その言葉通りに開戦当初からドイツ海軍は攻勢に出て、守勢に回るだろうという英海軍の予想を裏切る事となる。
主力艦の通商破壊などへの投入には積極的であり、それにより船団護衛に英側にも対抗の為に主力艦(そしてそれを護衛する駆逐艦)を付ける状態に追い込み、英本国艦隊の兵力を分散させることで大西洋進出を容易にする事を計った。
それと同時に彼我の兵力差や艦の通商破壊などでの長期行動を考慮して、不必要な戦闘を避ける事を指示していた。その戦闘に対する消極さがバレンツ沖海戦でのヒトラーの激怒に繋がる事となる。
戦艦ビスマルクの大西洋への投入はヒトラーがその損失を恐れていた為に出撃後も当分はレーダーは彼には報告せず、その沈没後も今度はティルピッツによる大西洋通商破壊を計画したが、主力艦損失で国威が失われる事を恐れたヒトラーにより中止している。
現場の指揮官には上層部の命令の尊守をどちらかといえば求めるタイプで、意に沿わなかったとして艦隊司令長官であったヘルマン・ベーム大将、ヴィルヘルム・マルシャル大将は解任されている。反対にギュンター・リュッチェンス大将のように自分の意に従った上での失敗には、現場での状況は現場にしか分からないとして理解を示している。
地理的な条件から、第一次世界大戦のように英海軍に封じ込まれる事とならぬようにノルウェー侵攻に開戦後、早くから積極的であり、ニュルンベルク裁判で戦争犯罪人として逮捕される原因の一つとなっている。
バレンツ沖海戦でのドイツ海軍の不甲斐なさに激怒したヒトラーによる大型艦解役命令に抗議してレーダーは海軍総司令官の辞任を申し出たが、司令官を度々罷免してきたヒトラーは、これ以上司令官を罷免して人気を落す事に難色を示し、海軍総監という名誉職に就かせる事でようやく承認した。
役立たずの主力艦解体を主張するヒトラーに対しては、ドイツ水上艦隊が無ければノルウェー侵攻は不可能であった事。ドイツ艦隊が北海・バルト海で制海権を獲得する事により東西部戦線のドイツ軍の海上通路は確保されている事。水上主力艦艇を解体しても得られる大砲・兵員は限られているのに対して、それに対処する兵力のフリーハンドを得た敵側が得るメリットは大きく、それは日本海軍などを失望させる結果となる事を挙げ、水上艦隊を擁護した。