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大阪近鉄バファローズの編集履歴

2014-08-04 12:50:31 バージョン

大阪近鉄バファローズ

おおさかきんてつばふぁろーず

近鉄バファローズの解散時の正式名称。1999年から2004年まで使用。

概要は近鉄バファローズ参照。

ここでは主に1999年から2004年までのチーム成績について記載する。


成績

順位監督
1999年6位佐々木恭介
2000年6位梨田昌孝
2001年1位梨田昌孝
2002年2位梨田昌孝
2003年3位梨田昌孝
2004年5位梨田昌孝

略史

地域密着を目指し、1999年より大阪近鉄バファローズに改名した。しかし99年は最下位に終わり、佐々木監督は辞任する。

新たにOBの梨田昌孝を監督に迎えた2000年は、主力選手の相次ぐ故障に泣かされてまたも最下位に終わった。この年は中村紀洋が本塁打王と打点王の2冠に輝いた。


2001年。いてまえ打線が大爆発した。投手陣が打ち込まれてもそれ以上に打ちまくるという豪快なスタイルで首位をキープする。そしてマジック1で迎えた9月26日のオリックス戦。9回裏までに3点差をつけられていたが、無死満塁のチャンスをつかみ、代打北川博敏優勝を決める逆転サヨナラ満塁ホームランを放った。

1989年以来、12年ぶり4回目の優勝で、これが結果として最後の優勝になった。この年はタフィ・ローズが55本塁打を放ったが、チーム防御率が4.98という両極端な成績だった。

日本シリーズではヤクルトスワローズと対戦するが、自慢の打線を封じられ1勝4敗で敗れた。


2002年は西武に大差をつけられての2位に終わり、2003年は3位。

そして2004年。オリックス・ブルーウェーブとの合併騒動に揺れ、9月には史上初のストライキが発生したが、合併を止めることは出来なかった。

最後のシーズンは5位に終わり、一度も日本一になれないまま55年間の歴史に幕を下ろしたのだった。

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