三八式歩兵銃
さんはちしきほへいじゅう
三八式歩兵銃(さんはちしきほへいじゅう、さんぱちしきほへいじゅう)または三八式小銃(さんはちしきしょうじゅう、さんぱちしきしょうじゅう)は、明治38年に大日本帝国陸軍が採用した小銃。
概要
基本データ
全長 | 1275mm |
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銃身長 | 792mm |
重量 | 4000g |
口径 | 6.5mm |
装弾数 | 5発 |
戦後の使用
第二次世界大戦が終了すると直ちに日本軍の武装解除が行われ、東南アジア戦線では三八式などを現地勢力が所持するようになった。のちのベトナム独立戦争(第一次インドシナ戦争)では独立派勢力がこの三八式を使用したとの記録もあり、またベトナム戦争でもベトコンが使用していたという記録がある。
批判
「日本軍は旧式のボルトアクション式小銃を主力として、半自動小銃を主力とするアメリカ軍と戦った時代遅れの軍隊。」という批判もあるが、アメリカ軍自体もM1ガーランドの配備遅延により西暦1942年初期(第二次大戦初中期)まではスプリングフィールドM1903が依然主力小銃であり、第一次フィリピン戦など太平洋戦争初期の戦いではアメリカ極東陸軍がこのスプリングフィールドM1903で日本軍と戦火を交えている。
また、ドイツ・ソ連・イギリス・イタリア・フランスでは一貫してボルトアクション式小銃が第二次大戦における主力である。ボルトアクション式小銃は1900年前後に既に「完成の域」に達した銃火器であり、各国はその時代の小銃をベースに細かな改良を施しながら第二次大戦終戦後まで主力装備として扱っている。ドイツ・ソ連もアメリカ軍同様に半自動小銃を開発・配備したが、ソ連に関しては半自動小銃のトカレフM1940が欠陥だらけでまともに運用できない代物であり、ドイツに関しては半自動小銃のワルサーGew43が主力ライフルのKar98Kを置き換えるほどの数が揃わなかった。