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概要

旧日本海軍において14隻建造された5500トン型軽巡洋艦の最終型である川内型軽巡洋艦の2番艦。艦名は、岐阜県および富山県を流れる神通川に由来する。

1923年12月8日進水。1925年7月31日竣工。

同型の川内との大まかな外見差異は艦首バウ形状や一番前の第一煙突が一段高いままである事や九二式四連装魚雷発射管を後部に装備した際に前方の魚雷発射管を装備していたウェルデッキを閉塞している(内部は兵員室に充てられた)事等。

島根県美保関沖での夜間無灯火演習中に駆逐艦・と衝突事故を起こし、艦首を喪失する大破、蕨は沈没した。このとき、神通をよけようとした後続の那珂に衝突し両艦も大破した。この事件は後に美保関事件と呼ばれることになった。1933年から翌年にかけて司令部設備の拡充、射出機・揚収デリックの装備などの近代化改装を受けた。太平洋戦争では主に第二水雷戦隊旗艦を務める。

1943年7月、コロンバンガラ島沖海戦にて、米艦隊の集中砲火を受けて沈没。

関連タグ

軽巡洋艦 川内型 神通(無印)

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