1941年生、大阪市で在日韓国人の家庭に生まれ、幼少期は「月山明博」(つきやまあきひろ)の通名を名乗った。
終戦直後の1945年に韓国へ帰国。
高麗大学在学中に学生運動に参加し、日韓基本条約反対運動の幹部として活動し逮捕されたことがある。
卒業後は現代建設に入社、海外事業等で頭角をあらわし僅か47歳の若さで会長職についたことで韓国内で成功した経済人の代表格として知名度をあげる。
1992年に政治家に転身、2007年に大統領選挙に当選。
経済政策や治水事業を重視した政策を打ち出す。
政権末期には(韓国の大統領の政権末期にはよくあることだが)反日色を強めた態度で望むようになる。
2013年2月、任期満了により退任。