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民主党政権の編集履歴

2015-03-30 12:18:35 バージョン

民主党政権

みんしゅとうせいけん

2009年から~2012年まで日本政治を動かした非自民政権。

概要

DPJ Government of Japan


2009年から~2012年まで日本政治を動かした非自民政権。

【歴代政権2009~2012】


鳩山内閣(友愛内閣)

圧勝時党代表だった鳩山由紀夫が内閣を組閣し、民主党・国民新党社民党の3党による連立政権が誕生。国家戦略室や事業仕分けなどの「政治主導」を印象づける政策を推進した。しかし、民主党幹事長小沢一郎の党運営をめぐって親小沢・反小沢で民主党内に亀裂が生まれ党内は混乱する。鳩山総理の公約である普天間基地問題では、鳩山の発言が迷走の末、辺野古への移転を示唆すると沖縄県民を落胆させた。県外移設方針を掲げる社民党は政権を離脱。これが致命傷となり鳩山総理は同時に小沢一郎に幹事長職をを辞任させることで総理を辞任を宣言。わずか8ヶ月で鳩山政権は崩壊した。


菅内閣(奇兵隊内閣)

反小沢を掲げた菅直人が党代表に選出、総理大臣となったが、この政権も問題が山積した。就任から三ヶ月後、尖閣諸島中国漁船衝突事件が発生するが、この対応が「弱腰」として批判された。また、就任半年目で東日本大震災に見舞われ、同時に生じた福島原発事故の後始末に追われる事になった。外交面では鳩山政権で亀裂が生まれたアメリカ当局との関係を再構築し、従来の自民党寄り路線に回帰。第2次安倍内閣で成立したTPP交渉参加、日本版NSC(国家安全保障会議)構想などを打ち出すが、マニフェストでは否定していた消費税増税に含みを持たせたまま、菅政権は1年5ヵ月で終結した。


野田内閣(増税内閣)

党代表に選出された野田佳彦は、増税路線へ舵を切った。これは、マニフェストに「四年間は民主党政権では税金は上げない」と明記していたことに明らかに反する行動であり、鳩山由紀夫陣営や小沢一郎陣営の反発を生み、小沢一郎元幹事長と陣営の議員は民主党を離党。7月11日に小沢一郎を代表として政党国民の生活が第一を結成、11月に日本未来の党となった。さらに日本維新の会にも移籍する動きが相次いだ。

11月14日の党首討論で野党自民党安倍晋三総裁と野田佳彦総理大臣(民主党代表)が激論し野田総理は2012年12月16日に解散をすると明言した。その後同日に行われた衆議院選挙で政権担当時の数々の失策と多数の離反者が出た事で野田民主党は安倍自民党・公明党に敗北。しかも、現職閣僚が8人も落選するという前代未聞の大敗北であった。ここに民主党政権はわずか3年あまりで終了し、自民党に再び政権を明け渡し、野田党代表は辞任した。

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