概要
当初はレスリング選手として頭角をあらわし、大学卒業後は国語教員をしながら選手生活を送っていた。ロサンゼルスオリンピックのレスリング・グレコローマンスタイルのライトヘビー級に出場した事もある。
その後プロレスに転向。
プロレスラー時代は得意技のノーザンライト・スープレックスや、ジャイアントスイングなどの見せ場で人気を博した。ジャイアントスイング連続60回などのパフォーマンスも知られる。
当時の印象からか、現在でもpixivのイラストは専ら彼の技関連の作品で占められている。
1995年、自身も重度のプロレス好きであった森喜朗からスカウトをうけ参議院選挙に出馬し政治家デビュー。その後暫くはプロレス界に籍を残していたものの2006年に正式引退し政治家に専念する。
スポーツ、教育問題を主に取り組み、青少年健全育成基本法案の担当者として従来は表現規制に賛成寄りの立場であったが、赤松健のロビー等でスタンスを変えつつあり「マンガ・アニメ・ゲームに関する議員連盟」の幹事長となった。