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Direngreyの編集履歴

2015-06-28 20:01:55 バージョン

Direngrey

でぃるあんぐれい

日本のロックバンド。

概要

5人組のロックバンド。現在の表記は大文字でDIR EN GREY。

日本では通称「ディル」だが海外などでは「DEG」と略されることが多い。

メンバー

Voice.京

Guiter.薫

Guiter.Die

Bass.Toshiya

Drums.Shinya


マネージャー.セクシャル井上

現場マネージャー.高林


前身

1995年に結成されたLa;Sadie'sが前身とみなされる。

La;Sadie's

ヴォーカル:

ギター:Die

ギター:KAORU(現在の

ベース:KISAKI

ドラム:Shinya

旧メンバー

ギター:紫緒


La;Sadie'sは1997年に解散。

その後、長野県長野市のライヴハウスJ(現在は移転している)においてKISAKIを除く元メンバーとベーシストのToshiyaによる一夜限りのセッションバンド、DEATHMASKを結成。

結成~現在

1997年、前述のDEATHMASKのメンバーをそのままに大阪で結成。

『JEALOUS』『MISSA』『-I'll-』といった音源や『妄想統覚劇』『妄想格外劇』といった映像作品をリリース。

特に『-I'll-』はインディーズながらオリコンシングルチャート初登場7位という快挙を成し遂げた。

またインディーズながら日本武道館公演を実現した。

1999年1月20日、YOSHIKIプロデュース(当時)の下で「アクロの丘」「残-ZAN-」「ゆらめき」 のシングル3枚同時リリースでメジャーデビュー。3枚すべてがオリコン週間チャートトップ10入り、さらにいずれも10万枚以上のセールスを叩き出すというメジャーデビュー仕立てのヴィジュアル系としては異例の快挙を成し遂げている。

翌月に『ミュージックステーション』でTV初出演を果たした。シングル3枚の中で最も過激な「残-ZAN-」を演奏という勇気ある決断を下した結果、多くの視聴者から大変な反響を呼んだそうだ。

同年7月に発売されたファーストアルバム『GAUZE』も20万枚を上回るヒット作になった。

その後、メジャー2ndアルバム『MACABRE』に伴う『TOUR 00>>01 MACABRE』ツアーの途中で京が左耳の突発性難聴を罹患。これによって左耳の聴力は80代のレベルにまで落ち込んだと言われる。

この後、京のパフォーマンスは激しさを増し、ステージで白や赤の粘液(白はペペローションと生クリームを混ぜたもの、赤はペペローションと血糊を混ぜたもの)を口から吹き出したり、口の中や身体を掻き毟って血を流す自傷行為をするようになる。この傾向は数年間続いた。


音楽性もそれまでのヴィジュアルロックからは離れていき、ハードロックやメタル調の楽曲を多く発表するようになる。

しかし『カテゴライズ不能かつ不要なロック・バンド』と公式に掲げられているだけに、一概にどのジャンルとは括れない様々な要素を併せ持っている。


またPVの表現も過激で、通常の演奏シーンのみならず、苛烈なR-18G表現故にモザイクが入っていたり、TV放映のための規制バージョンを用意するなどしたものがあるため、PVを検索する時は注意が必要。

『DIFFERENT SENSE』という曲のPVには魔法少女アイ参R-18シーンが挿入されている。


現在ヨーロッパや北米を始め世界的な知名度と人気を誇る。

欧米などで単独ツアーを多く行う他、アメリカのロックバンドKORNが主催するファミリー・ヴァリュース・ツアーに招聘されたり、Apocalipticaとのダブルヘッドラインツアーを行ったり、Wacken Open Airに参加したりと精力的なライヴ活動を行っている。


2008年リリースの7thアルバム『UROBOROS』は世界17カ国で同時リリースされ、Billboard 200で114位、Heatseekers Albumsで1位を獲得した。


メジャーデビュー直後を除きテレビやラジオといったメディアにほとんど露出をしないため、日本では未だ初期のヴィジュアル系としてのイメージが根強く残っている。

2000年を境にMステのようなプライムタイムの歌番組出演は一切なくなり(誤解されがちだが上記の「残-zan-」のパフォーマンスによる反響は全くの無関係)、以後は出演しても夜22時台~0時過ぎの深夜番組ばかりである。

しかしプロモーションのラッピングトレーラーやショップでのイベントは行う他、音楽誌には頻繁に露出をし、2011年末からはニコニコ生放送にてレギュラー番組を持っている。

変わったところでは2010年1月9日、10日に日本武道館で行われた『UROBOROS –with the proof in the name of living...-』の舞台裏を映画化して劇場で上映したことがある(映像ソフトは未発売)。


2012年2月、ボーカル京の喉の不調によりバンドの活動休止が明らかになったが、その間に曲作りを行ったり爆音上映会を行ったりニコ生の番組を久しぶりに再開したりと、京に負担がかからない活動は行っていた。

そして2012年8月、TOUR 2012 IN SITUの決行と新曲のリリースが発表された。

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