概要
大まかに、戦前から1960年までドイツのツァイスイコンで生産されたコンタックス、1975年にカールツァイスが日本のヤシカ(後に京セラ)と提携し生産されたコンタックスの2種類に別れる。
一般的にツァイスイコン製のものをContax、ヤシカと提携後のものをCONTAXと表記する。
ツァイスイコンのコンタックス
シリーズを通じて角型を基調とし、同世代のライカよりも男らしいデザイン。しかしバルナックライカよりシンプルで絵として映えるわけでもないし、M型ライカよりも有名というわけでもないのでイラストに描かれているのを見ることはまずない。
カメラとしては戦前世界最大の光学企業が持てる技術全てを注ぎ込み、ライカと較べるまでもなく撮影結果は世界一であった。そして戦後は当たり前となる技術を戦前から次々と確立してゆく。しかしコンタックスというブランドがツァイスイコンにとって「実用性はもちろん、しかしそれ以上に技術の追求が目的のブランド」であるが故、構造は複雑化し故障した際の修理は面倒臭く、なにより高価。「ライカより凄いけど高価で壊れやすいんじゃライカでいいや」というのが世間の大まかな評判である。だって技術の誇示が目的のカメラだから。
愛用者はロバート・キャパや加藤建夫など。
レンズはカールツァイス製でラインナップは非常に充実しており、総じてその評価は高い。現在ツァイスイコンはカメラ事業からは撤退しているものの、カールツァイス製レンズは健在であり現行品も最高品質(かつ高価格)を保っている。
コンタックスⅠ
真っ黒に塗装された姿からブラックコンタックス(ブラコン)と呼ばれる。黒のボディに金色のニッケルメッキパーツが当時流行りのアールデコ。正面から見ればほぼ箱。高速レンズSonnar 5cm f1.5を引っ提げて1933年に発売された。
シンプルな機構を持つライカとは対極的な技術と歯車の塊である。ボディの端から端まで使う長い距離計を持ち、f1.5の大口径のレンズや望遠レンズであっても非常に正確なピント合わせが可能であった。そのボディはジュラルミンダイキャストで剛性を確保し、ボディを分割するように裏蓋を取り外すことができるためフィルム交換が容易に行える。
しかしこのカメラの鎧戸式金属シャッター(商店や車庫のシャッターと同じアレ)は後世でも例を見ないほど複雑極まりないもので故障を頻発した。その上シャッターダイヤルがボディ上部ではなく前面にあり、しかもシャッタースピードの設定がややこしく、間違った操作をすると故障の原因となる。ボディの中では様々な機能が無理矢理複雑に絡み合った機構をしており、修理屋にトラウマを植え付けるには十分な光景である。開発販売の3年間の間に6回、平均すれば半年に1回のマイナーチェンジが施されており、その実地試験機感が伺える。
完璧主義すぎるのかやっつけ仕事なのか人によって評価が別れるモデルである。高価であるが、それでも現地ではf3.5エルマー付ライカとf3.5テッサー付コンタックスは然程変わらない値段であったあたりが大企業の強み。
コンタックスⅡ
初代とは一転してクロームメッキが眩いコンタックス。1936年発売。クロームコンタックス(クロコン)とも称される。上は銀色下は黒色の箱型デザインは、ニコンSやライカMを始めとした世界中の戦後カメラデザインの先駆け。ボディの起伏は内部構造に沿った結果で全てに意味がある。機構がその美しいデザインを作り上げた一切無駄のない究極のインダストリアルデザインである。
Ⅰ型と同じ鎧戸式金属シャッターであるが根本的に改良したため更に構造は複雑化、しかし耐久性を上げ「40万回以上シャッターを切っても大丈夫」を基準とした。セルフタイマーも搭載し内部機構は数々の改良を施されたため中身はより歯車ギチギチとなったが、メイン機構はユニット分けされた設計で整備性は格段に向上している。シャッター機構などは巻き上げ部ごとボディからゴロッと外すことが可能。しかも3種類のマイナスドライバーがあれば個人で分解整備が可能であり、分解に特殊工具を要するライカとは設計思想が異なる。
特に画期的なのは当時別々が当たり前だったファインダーと距離計を世界で初めて同じ窓に組み込み、「ピントを合わせてから構図用ファインダーを覗く」という動作を必要としなくなったことである。しかしそのためファインダーに0.7倍の倍率がかかりブラックコンタックスよりも距離計の有効基線長は短くなったが、それでもなおライカより長い。また、シャッタースピード設定がB~1/1250秒まで巻き上げノブ一つで設定できるようになったため速写性に優れる。が、人差し指一つで巻き上げ可能なライカと比較すると巻き上げはたいへん重いため、フィルムを2本使い終わる頃には親指と人差し指の腹が痛くなる。
価格はライカを引き離し、日本で買うと重税が課せられ東京に家が建つほどであったため、海外へ行ける人間は上海や現地で購入したという。
コンタックスⅢ
コンタックスⅡにセレン電池式電気露出計を組み込んだもの。組み込んだとはいえ構造上軍艦部に無理矢理増設しただけであるため、ちぐはぐな印象を与える。現在は殆どの個体が電池切れで動かない。露出計と連動機能が追加されて嵩が増した巻き戻しノブ以外は基本的にべらぼうに高価なコンタックスⅡと同じだが、より高価。というよりも当時最高価格の35ミリ判レンジファインダー機であった。
コンタックスⅡa
西ドイツのツァイス・イコンによる戦後の改良型。1950年発売。より使いやすく持ちやすく小型化され、シャッターや測距系機構の精密さを上げるため多数の改良が施された。その結果操作性は向上し、シャッターのモジュール化が進んだため戦前型より修理もしやすい。しかしレンジファインダー機の命であるピント合わせのための基線長は短くなり、ファインダー倍率は0.61倍で有効基線長は更に短くなったため改悪とする評もある。目新しい技術もなく技術の誇示というコンセプトからは外れ、コンタックスⅣの開発コードネームは後のコンタレックスのものではあるが、しかし紛れもなくツァイスイコンのコンタックスである。
レンジファインダー機の完成形とも言えるライカM3の登場により、ライカの方が高価になってしまった。
コンタックスⅢa
戦前のⅢと同じく露出計を上に増設したもの。1951年発売。Ⅲ型ほど古くはないが、露出計は電池切れでまともに動作しない個体は多い。Ⅱaが縦に低く横長になったため、Ⅲ型と打って変わってこの露出計があると見た目のバランスが良くなる。
コンタックスS
東ドイツのツァイス・イコンにより市販された一眼レフ。ペンタプリズムを採用した量産一眼レフカメラとしては世界初。シャッターは金属式ではなく標準的な横走り布幕シャッターである。東のツァイス・イコンによる販売では「Contax」名が使われたが、西のツァイス・イコンによる販売では商標の関係で「Pentacon」名となっている。派生・改良型にD、E、F等があるが、後に事業統合により東ドイツのコンタックスの名は消えてしまう。
ヤシカ・京セラのコンタックス
日本製一眼レフの猛攻によってカメラの生産を停止した西独ツァイスは、日本メーカーと提携する道を選んだ。提携先には積極的なカメラの電子制御化を推し進めて実績をあげていたヤシカが選ばれ、1974年にコンタックスブランドが復活する。後にヤシカは京セラに吸収され、コンタックスブランドも京セラに引き継がれた。コンタックスの名を冠するカメラ群であるため、世界初だったり個性的なコンセプトのカメラが多い。2005年に終了。京セラがカメラ事業から完全撤退しているため、京セラが商標を保持している限り今後コンタックスが世に出ることはない。
余談ではあるが、戦後ヤシカはヤシカ35というコンタックスⅡaデザイン丸パクリのカメラを販売していた。廉価でありながら高品質なレンズを搭載し、性能としては(撮影条件を同じにした)ニコンSPと比較されるほどのものであった。
コンタックスRTS
ボディをヤシカ、レンズをカールツァイス、全体的なデザインはポルシェデザインという最強のチームで開発された一眼レフ。
RTSの最大の特徴は電子シャッター機にかかわらず、電源ボタンが存在せずにレリーズボタンを押すと即シャッターが切れる機構だった。やはりこの電子機構も複雑になり、先進的なシステムを歓迎する人と故障を懸念する人、あるいはハードに使いすぎて故障を頻発させる人に分かれてしまった。後のRTSⅢではシャッタースピードが最速1/8000秒になったりフィルムの平面製を追求したりする。
コンタックス139クォーツ
世界初の水晶発振でシャッタースピードを制御するカメラ。クォーツ制御でシャッター速度とタイマー動作の精度が上がっており、その上基本的に無理がない設計のためか耐久性は高い。小型でデザインも素直で携行性に優れるため愛用者は多い。
コンタックスGシリーズ
レンズ交換式のレンジファインダーカメラを復活させる、という宣言に沸き立った人も多いが発売されたのはなぜかAF専用機だった。しかもレンジファインダー機ではない。ということはファインダーに二重像が存在せず、ファインダーを覗いてもピントが合っているのか確認できない致命的な弱点を持っている。ただデザインやレンズその他機能性は高く、完全電子式という先進性や比較的現実的な値段もあって多くのユーザーを取り込んだ。外装はチタンだが内部部品にプラスチックが多く、経年劣化による故障が心配になる今日この頃。
コンタックスTシリーズ
どうせAFならいっそコンパクトカメラに…という発想のあたりGシリーズよりも潔さが感じられる。
使い捨てカメラと大して変わらない大きさでツァイスレンズの写りが楽しめるので評判はよい。メインで一眼レフを使う人のサブカメラとしても大人気であった。後にデジタルカメラとしても発売され、2003年クオリティの映像素子でありながら「ツァイスレンズ搭載コンパクトデジタルコンタックス」ということでフィルム版共々現在も愛用している人も多い。
コンタックスアリア
最後のヤシカコンタックスモデル。余程懐がピンチだったのかコンタックス銘の安売りに近い形で入門機として設計された。プラスチックを多用し軽量であり、名前も相まってカメラ女子あたりにウケが良い。本体が軽くレンズは重く重心が偏るため、軽量レンズ2本が同時発売された。
コンタックスNシリーズ
レンズマウント口径を広げ、完全電子制御化したモデル。そして来るデジタル一眼レフのための設計である。中判カメラのような大きさ、重さ、そしてべらぼうな値段、京セラというメーカーのイマイチなイメージ、そして高性能でも数がないレンズラインナップから、フルサイズデジタル一眼レフでも売れることはなかった。
コンタックス645
名前の通り6×4.5判、つまりブローニーフィルムカメラである。シャッタースピードにおいては最高速1/4000秒と中判カメラでは最速誇る。専用レンズは静音オートフォーカス駆動に常時マニュアルフォーカスが可能。当時ハッセル用ツァイスレンズと比較すれば割安な中判レンズラインナップで、現在も未だに根強い人気を持つ。
他にも様々なコンタックスが登場したが、何れも高価である。