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会津若松城の編集履歴

2016-01-06 21:33:43 バージョン

会津若松城

あいづわかまつじょう

会津若松城は福島県にあった日本の城であり100名城のひとつである。

会津若松城は福島県にあった日本の城であり100名城のひとつである。

別名「鶴ヶ城」であり地元の人はこちらの名前で呼ぶ。

古い文献では「黒川城」とも呼ばれていた。


歴史

葦名氏が1384年に黒川城(東黒川館)として築城。

その後戦国時代まで葦名氏が城主をつとめるが・・・

1589年に伊達政宗によって葦名氏は滅ぼされ黒川城は伊達に支配される。


しかし秀吉の逆鱗に触れ黒川城は没収。

蒲生氏が新たに城主となった。


蒲生氏は黒川城を新たに若松城と改め近代城郭として改修を行う事となる。

この時完成した天守が望楼型、7重と呼ばれる超巨大天守であったが・・・会津地震で倒壊したとされる。

「幻の天守」とも言われている。


江戸時代に層塔型5重天守として新たに再建されている。



幕末の戊辰戦争では白虎隊の悲劇の地として有名である。

この戦いでは会津若松城は1か月持ちこたえたと言われている。



現在の天守は昭和40年に鉄筋コンクリートによって外観復興されたものである。



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