概要
ガングート級戦艦建造の経緯は、日露戦争によってロシア帝国海軍が主力艦のほとんどを喪失したことにあった。これを受け、1908年に海軍再建に向けて帝政ロシア海軍10ヵ年計画が開始された。この際計画されたのが本級である。建造当初、イタリア、ドイツ、イギリス、アメリカに技術協力を依頼した。最後に残ったものが、イタリア「クニベリティ造船士官」案とドイツ「ブローム•ウント•フォス社」案の二つだった。ガングート級戦艦設計は一般にクニベリティ造船士官案を採用し、イタリア戦艦ダンテ•アリギエーリからの設計と言われているが、最近の研究ではドイツ案を採用したとされている。しかし、外見上はダンテ•アリギエーリに瓜二つである。同型艦は4隻で、全艦が1909年起工、1914年竣工となっている。
(例:武装は12インチ3連装砲4基で、砲塔背負い式に配置されていない。また1,2番砲が前方に、3,4番砲が後方を向いている。)
船体形状は平甲板型で、艦首衝角を廃止するかわりに砕氷型艦首を採用した。艦首甲板に新設計の1907年型52口径12インチ3連装砲塔1基、司令塔を組み込んだ露天式艦橋、単脚の前部マスト、第1煙突、第2主砲塔、第2煙突、第3主砲塔を配置した。第3主砲塔と後部マストの間に艦搭載艇を敷き並べ、クレーンを方舷1基ずつ配置した。艦尾甲板には見張り所を基部にした単脚式後部マスト、その後部に第4主砲塔を配置した。副砲にはケースメイト式1905年型12センチ単装砲を採用し、各主砲塔の舷側に4基、計16基配置された。また、45,7センチ単装発射管が水線下に4基配置された。これにより方舷に指向可能な門数は、12インチ砲12門、12センチ砲8門、45,7センチ発射管2門になった。主砲の門数はイギリスの戦艦ドレッドノートより2門多い。艦尾水線下には楕円形の舵が直線上に2枚配置された。しかし、この艦の設計には性能的欠陥が多く、まともに斉射ができない、機関区と弾薬庫が隣接しているなどがあった。ただし、その幾つかはソヴィエト赤軍入籍後、近代改装によって改善されている。
近代改装
ロシア帝国崩壊後、ソヴィエト赤軍に編入され、艦名が変更された。艦名は革命家や革命に関する物事の名前。
ガングート→オクチャブリスカヤ•レヴォリューツィヤ(十月革命の意)
ポルタワ→ミハイル•フルンゼ(ソ連の政治家ミハイル•フルンゼ)
セヴァストポリ→パリジスカヤ•コンムナ(パリコミューンの意)
ミハイル•フルンゼを除く3隻が近代改装を施された。艦首には新たにクリッパー式が用いられ、セヴァストポリは水線下にバルジを設けた。武装面では主砲の仰角が40度まで引き上げられた。また小口径砲が撤去され、かわりに1935年型55口径3インチ単装高角砲6基を主砲塔天蓋に設置した。セヴァストポリはハインケル式旋回型カタパルトを搭載した。