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艦名は北方戦争における最大の戦い「ポルタワの戦い」から来ている。


装甲艦

ペトロパブロフスク級艦隊装甲艦の2番艦。

経歴

1892年起工、1894年進水、1897年竣工。

1900年、太平洋艦隊に就役。

1904年、日露戦争に参加する。旅順艦隊に所属。

8月10日、黄海海戦連合艦隊に敗れ、ウラジオストックへの脱出に失敗。

12月5日、203高地からの日本陸軍の砲撃で、港内に大破着底。

1905年7月21日、日本海軍により浮揚される。

8月22日、丹後と命名され、一等戦艦に類別。

12月12日、戦艦に類別変更。海水に浸かった機関や兵装が交換される。

1912年8月28日、一等海防艦に類別変更。

1916年4月4日、日本海軍の軍艦籍より除籍し、ロシア海軍に返還された。チェスマと改称され、ウラジオストック艦隊に所属。

1917年2月3日、白海艦隊に編入。

10月、乗組員がソビエトへの参加を決定。

1918年3月、ムルマンスク港に座礁した状態でイギリス軍に捕獲され、水上刑務所として使用される。

1919年10月、イギリス軍がムルマンスク港から撤退。

1920年4月24日、ボルシェビキが獲得。

6月16日、アルハンゲリスクに移送。

1924年7月3日、除籍。

性能諸元(竣工時)

排水量10,960t
全長114.6m
全幅21.33m
吃水7.9m
機関石炭・重油混焼円缶×14基 直立型三段膨張式三気筒レシプロ蒸気機関2基2軸
最大出力11,255hp
最大速力16kt
航続距離10kt/3,500浬
武装1895年式40口径305mm連装砲塔×2基、1892年式4口径152mm連装速射砲塔×4基、1892年式4口径152mm単装速射砲×4門、オチキスQF 43口径47mm単装砲×12門、オチキス 23口径37mmガトリング砲×28基、パラノフスキー 19口径635mm単装砲×2門、38.1cm水上魚雷発射管×2基、45.7cm水中魚雷発射管×2基、機雷×50個
乗員662名

戦艦

ガングート級戦艦の3番艦。

経歴

1909年起工、1911年進水、1914年竣工。

ロシア革命後、赤色海軍に編入されたが、1918年10月、人手不足から予備艦となった。

1919年11月25日、ペトログラード付近で前部ボイラー室から大規模な火災が発生し、航行不能となり、ネヴァ川へ座礁して沈没を防いだ。

1926年1月、「ミハイル・フルンゼ」に改名したが、修理は断念され、同型艦の部品取りに使用した。

1941年6月、レニングラード白海 - バルト海運河の出口付近で座礁させられ、桟橋に利用された。

1944年、浮揚され利用可能な兵装が取り外された。取り外した主砲塔はクリミア半島セバストポリで沿岸砲台として1997年まで運用された。

同じころ、同型艦のマラート(ペトロパブロフスク)はクロンシュタット港で空襲を受けて弾薬庫誘爆を起こして艦首を切断されて港内で大破着底していた。

第二次世界大戦終結後、大破したマラートとポルタワをつなぎ合わせて1隻の戦艦にするという計画が検討されたものの、ミサイルの時代を迎えようという頃になって1910年代に設計された旧式戦艦を莫大なコストを投じて復活させるのは時代錯誤も大概ではということに皆が気づいてしまったため中止された。(正式に27号計画というプロジェクト名まで与えられていた。戦勝祝賀で酔っ払った勢いとしか思えない)

結局ポルタワは1949年、解体処分された。(マラートは1953年まで練習艦として使用された後に除籍解体された。)


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装甲艦 前弩級戦艦 戦艦 ペトロパブロフスク級艦隊装甲艦 ガングート級戦艦

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