艦名は「ペトロパブロフスク・カムチャツキー包囲戦」から来ている。
装甲艦
ペトロパブロフスク級艦隊装甲艦の1番艦。
経歴
1892年起工
1899年就役
太平洋艦隊旗艦として活動。
1904年、日露戦争に参加する。
4月13日、旅順港外で触雷して爆沈。
性能諸元
排水量 | 10,960t |
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全長 | 114.6m |
全幅 | 21.33m |
吃水 | 7.9m |
機関 | 石炭・重油混焼円缶×14基 直立型三段膨張式三気筒レシプロ蒸気機関2基2軸 |
最大出力 | 11,255hp |
最大速力 | 16kt |
航続距離 | 10kt/3,500浬 |
武装 | 1895年式40口径305mm連装砲塔×2基、1892年式4口径152mm連装速射砲塔×4基、1892年式4口径152mm単装速射砲×4門、オチキスQF 43口径47mm単装砲×12門、オチキス 23口径37mmガトリング砲×28基、パラノフスキー 19口径635mm単装砲×2門、38.1cm水上魚雷発射管×2基、45.7cm水中魚雷発射管×2基、機雷×50個 |
乗員 | 662名 |
戦艦
ガングート級戦艦の2番艦
経歴
1914年12月4日にロシア帝国海軍に就役した。
帝政ロシア崩壊後は赤色海軍に編入された。
1921年3月31日、艦名が「マラート」に変更された。
1943年5月31日、「ペトロパブロフスク」に戻る。
1950年11月28日、艦名が「ヴォルホフ」に変更された。砲術練習艦となる。
1953年9月4日、除籍。
→ 詳細は「マラート」を参照