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愛宕(重巡洋艦)の編集履歴

2016-01-12 23:12:06 バージョン

愛宕(重巡洋艦)

あたご

高雄型重巡洋艦の二番艦。

主要データ

  • 排水量:13400t。
  • 全長:203.7m。
  • 全幅:20.4m。
  • 速力:34ノット。
  • 兵装:
    • 20.3cm連装砲塔5基。
    • 12.7cm連装高射砲4基。
    • 25㎜連装機銃4基。
    • 13㎜連装機銃2基。
    • 61cm四連装魚雷発射管4基。
  • 装甲:水線100㎜(機関部)、125㎜(弾薬庫)。甲板35㎜。主砲前盾25㎜。
  • 乗組員:835名。

艦歴

1927年4月28日に呉工廠にて起工。

1930年6月16日、進水。

1932年3月30日に竣工。

12月1日、妙高型重巡洋艦に代わり第二艦隊第四戦隊に編入。

1938年4月より近代改装工事に入り、舞鶴から横須賀工廠へと移動して10月30日に工事完了。再び第四戦隊に戻る。

1941年10月6日、第二艦隊司令長官兼第四戦隊司令官近藤信竹中将の旗艦を姉妹艦である重巡洋艦摩耶より継承。

開戦時は南方部隊本隊の旗艦も務め、12月にマレー、リンガエ湾上陸を支援。

1942年3月2日、バリ島沖にて姉妹艦である重巡洋艦高雄と共に駆逐艦ピルズバリーを撃沈。

4月17日、空母ホーネットを飛び立ったジェームス・ドゥーリトル中佐率いるB-25による東京空襲の報を受け、第二艦隊を率いて敵機動部隊追撃の為に横須賀を出撃するも後に追撃中止となる。

5月29日、ミッドウェー作戦の攻略部隊旗艦として柱島を出撃するもミッドウェー海戦での敗北により6月14日、柱島に帰投。

8月7日の連合軍のガダルカナル上陸を受け11日に柱島を第二艦隊を率いて出撃し、トラックに進出する。

24日、第二次ソロモン海戦に参加。

9月26日、南太平洋海戦に参加。

10月15日、第三次ソロモン海戦に参加。戦艦霧島、高雄と共に戦艦サウスダコタを撃破するも、霧島が戦艦ワシントンに撃沈され海戦は敗北に終わる。

1943年1月、一旦戻っていた呉から再びトラックに進出しガダルカナル撤退を支援。

横須賀に入港後の8月9日、第二艦隊・第四戦隊の司令長官・司令官が栗田健男中将となり、愛宕は旗艦に留まる。末には再びトラックに進出。

11月5日、第二艦隊を率いて進出したラバウルにて機動部隊の空襲を受け至近弾で損傷し40名を超える死傷者を出す。10日にトラックで鳥海に旗艦を移し、15日に横須賀に入港し22日までに修理を完了させる。

1944年1月4日に横須賀を出撃して南方に進出。5月14日に第一機動艦隊前衛部隊として栗田提督の旗艦となる。

6月18日から始まったマリアナ沖海戦に参加。日本側の大敗北に終わり、24日に艦隊と共に柱島に入港。

7月8日、第二艦隊旗艦として第二艦隊を率いて柱島を出撃。第一遊撃部隊を編成し、30日にリンガに入港。

10月18日、捷1号作戦が発動され、第一遊撃部隊第一部隊・第二部隊を率いてリンガを出撃し、20日にブルネイに寄港し、そのままフィリピンのレイテに向かった。

23日、フィリピンのパラワン水道にて潜水艦ダーターの魚雷を四発被雷し360名余りの戦死者を出し沈没した。

逸話

太平洋戦争開戦から末期まで一時期鳥海に旗艦を預けた以外は一貫して第二艦隊の旗艦を務めた武勲艦であった。


高雄とは仲良し艦であり、摩耶、鳥海と一緒の時は無くても大体の作戦で両艦は共に行動しており、それは愛宕がパラワン水道で沈むまで続いた。

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