概要
生没年 文永元年(1264年)~嘉暦元年(1326年)11月1日
鎌倉幕府・第6代征夷大将軍・宗尊親王を父として鎌倉で生まれ、将軍を罷免された宗尊親王に代わって3歳で将軍位に就き、久明親王に職を譲るまでの23年間を鎌倉で過ごした。
将軍就任
文永3年(1266年)、父・宗尊親王が25歳で将軍職を罷免され、3歳にして従四位下・征夷大将軍に叙任される。なお、当時の名乗りは「惟康王」であった。
文永7年(1270年)、7歳で元服、従三位に叙され「源惟康」を名乗り、文永9年(1272年)には従二位、弘安2年(1279年)には正二位に叙任される。
この間、ときの執権・北条時宗は礼節をもって遇している。『建治三年記』には惟康の御所が新調されたおり、時宗は維康入御を見計らって自ら庭に着座し、御家人たちもこれに倣って庭に列したという。
時宗死後も幕府は礼節をもって維康を遇した。
弘安10年(1287年)6月には中納言右近衛大将(右大将)に昇進し、同年10月には幕政の実権を握る内管領・平頼綱の工作により、本来、天皇の皇子にしか許されない親王宣下を許された。
突然の将軍罷免
正応2年(1289年)、維康親王は将軍職を罷免され、罪人同様の扱いで京に送り返された。新たな将軍に迎えられたのは前年に即位した持明院統の伏見天皇の異母弟・久明親王であった。
嘉暦元年(1326年)11月、将軍罷免後、37年を経て亡くなるが、この間の事績はほとんど伝えられていない。